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『太宰治 坂口安吾の世界 反逆のエチカ』(3)

地図 初期作品集 (新潮文庫)


太宰治は井伏鱒二と合作小説を書いていた。
といっても井伏さんの「前がき」によると、学生時代の太宰が未完のままに出さなかった小説の後を、一行アキで書きついだ小説らしい。これも、合作と言うのだろう。

というか、井伏さんもこのなかでチラと書かれている、いやなんとなくそんな雰囲気で書かれている。ぶっちゃけ、太宰治と井伏鱒二の合作小説はないだろう。井伏さん、気にされてた、みたい。だって、太宰と井伏さん。合作やるほど、たがいの文章が、いい感じでぶつかったり、混ざり合うことはないと思う。よく音楽なんかでユニット組んでやるけど、あれは音楽そのものが持つ世界を問わない地平の広さというか、うまく言えないけれど。小説は個人的な運動でしょう、ありえない、と思う。しかも、合作とは言わずに井伏さんの名前で出したらしいから。気にされて、なるほど・・、と思った次第です。なんでこんなことをやったのかは、よくわからない。おたがいの、或る事情のもと、各自の或る事情のもと、としか書かれていない。或る事情だそうです。これで納得しましょう、笑。

で、結論から書くと、私は、一行アキの後、つまり井伏さんが書きついだ後半部分、ぜんぶ要らないと思う。これ未完なの!? 太宰が止したところで「完」を打っても小説として読めると思うけど、そうでもないのかな、うーん・・。

井伏鱒二という作家のカラーと、太宰治という作家のカラーとが、食い違っていて、そこを井伏さんがうまくすくって馴染ませて書こうとしているのだけれど、プロの作家が書いた文章というのは、たとえば一行抜き出しただけでも「あ、この人だな」ってわかるじゃないですか、キラキラして、そういうカラーの食い違いが気持ち悪いのが1つ。ということは、と同時に、世界観が違うってことになって、おなじ小説内に生きているはずなんだけど、登場人物との関わり方が違うから、イコール、登場人物の人格が変わってしまう、その違和感が、2つめの理由。3つめの理由が決定的で、太宰の前半を、井伏さんの後半が説明してしまっていると私には読めるのだけれども、ま、ま、そう言わずに、この小説の書き出しを、抜き出してみる。

合作小説『洋之助の気焔』
かつて私が相当のものであつたころの話である。いまでも私は自分をやつぱり相当なものだと思つてゐるが、ふと全く駄目な男だと思つたり、それで半分々々くらゐなのであって、その頃の私は「一朝目ざむればわが名は世に高し」といふ栄光が明日にでも私を訪れることを信じてゐたし、目ばたき一つするにも、ふかい意味ありげにしてゐたほどで、私のどんな言葉も、どんな行ひも、すべて文学史的であると考へてゐた。(p5)



太宰の書き出しのうまさは、いろんな人が説明しているとおり、事実、うまいです。つかんで、ぐーーっと最後まで、引っぱって行く。この「私」のような人を私はたくさん知っている。普遍的なと言ったら身振りが大きいけれど、だれにも思い当たるような、また知っているような「私」を最初に持ってくる。そんな素振りも見せずに。間口が広い。狭いように見えて。両腕、胸を、ガッ!と開いて、さぁ読んでちょうだいと、受け入れの姿勢。こっちが入ったつもりで、じつは向こうから捕まえに来ている。流し網漁? とこんなふうに説明しても、じゃおまえやれって言っても私にはできない。たぶんこうじゃないかってわかることと、できることとは、天才と凡人くらい、違う。太宰はほんとうに小説を書くのが、うまい。私も、最初は、太宰ファン歴が短いころは、内容に引きずられて読んでいた、けど、あるとき、ふと我に返った、内容ともかく仕掛け方が、天才的に、うまい。こりゃ内容に引きずられて読むだけではモッタイナイなと。よく書かれているような、甘ったれた、とか、青春の、とか、あれはみんな内容に引きずられてそれでしまいの類い。モッタイナイ。骨までしゃぶらないと。

それはともかく、このあと小説はどうなるかというと、女が出てくる。「私」のあとをついてくる女が出てくる。ここから先が太宰のまたうまいところ。霧の深い夜、うしろから女がついてきて、幻想的な雰囲気も漂わせながら、この女は生きているのか死んでいるのか判然としない感じで持って行きながら、雰囲気だけで流さずに、「私」の輪郭を月明かりで照らし出すみたいにして「私」をチャンと表現しつつ、女の生も表現している。一足飛びには行かない。耐えて、じっくりと、その経緯を追いかけ、表現している。
無粋なオチなんてない。ただし、最後は、苦い。

「ときどきをかしくなるのです。あなたでよかった」
私はこの言葉には立腹して、かう思った。
「ばかな、何を言ふか!」
さう思つて、私はシン(kairou注・あとからついてきた女の名)の顔を見ないで帰つて来たが、さきほどまで森のなかで私はかうもしたつけああもしたつけと思ひめぐらし、下宿に帰っても気が散って私は眠れなかった。(p12)



井伏さんの「前がき」には、こう書かれている。

この作品が某誌に出た翌月か翌々月、同人雑誌「朱門文学」に小田切秀雄氏の批評文が出た。まとまつた可成り長い論文であった。論旨の大要は、この作品には感覚と才能が埋もれてゐて、この作者の他日の大成を望んでゐるが、不健康性からは一日も早く出てもらひたいといふ好意的なものであった。太宰君も私も小田切氏には面識がない。だから代作とは知らないで、才能の萌芽をこの一つの習作で認めたわけである。太宰君はその論文を私の前で一気に読み終つて、にやりと笑った。私としても複雑な気持であつたやうに覚えてゐる。太宰君はその雑誌を持つて帰つた。(p5)



そこで、にやりと笑うか。ん。これは井伏さん、気にする。

出してない小説もやっぱり太宰で、うまい。おもしろいと思う。手触りとしては図書館のずっと奥にある外国もの、ナントカ全集、あれに似ているけど、そうでもないかな。日本の古い読み物みたいな感触もあって、私が思う太宰らしい感じもあり、煮え切らないけど、むりやりに、ひとことでまとめると、どこを語れば小説として輝くのか、チャンと心得ている、センスの良さ、だろうか。

『太宰治 坂口安吾の世界 反逆のエチカ』(1)
『太宰治 坂口安吾の世界 反逆のエチカ』(2)
地図 初期作品集 (新潮文庫)

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