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第142回芥川賞受賞作なし、ずっとなしでもいい。

RVR 第142回芥川賞
RVR 第142回芥川賞


村上龍サン、いいこと言っている。

龍サンの、お相手をされている方が、候補作の舞城王太郎『ビッチマグネット』内に出てくる「私のなかにはなにも語るべき物語がない」っていうのに触れていて、とくに自分の過去に語るべきものもないし、この先なにか大きな物語が起こる予感もないという、いまの若者と共通したものが描かれていて共感できる、と。舞城作品だけでなく、共感できる候補作品が多かったとも、お相手の女性の方は言っていたけれども。
それに対して龍サンが、三島の言葉をひいて説明していた。ほんとうに新しくて良い作品っていうのは人々を不快にする、その作品が次第に理解されてゆくと、みんな興味をもって喜んで読んでくれる、さらに時が過ぎて作品が古くなると人々は失笑する、と。
つまり共感できるっていうのは、ほんとうに新しくて良い作品だとは言えないということでしょうか。

ビッチマグネット


また龍サンは、善悪やヒューマニズムを超えて表現された作品は、読む人を自由にするとも言っています。
文学っていうのは、書き手よりも、書き手が伝えようとしていることの方が、大きい、深い。コントロールできないもの。コントロールできるなら、ひとことで言えばいい。自分でも掴んではいるけれども制御できない、コントロールできないものなのだ。読む人はそこを見たいンだよね。どうしようもない、どこを書いていいのか分からない、最初は。手さぐりで書いていくうちにカタチが見えてきて・・・。それが小説の魅力じゃないかな、

と言っていました。

他に、日本人と在日の方々とのやりとりについても言っています。人間はみんな同じじゃないかという言い方は卑怯だと。同じなんだけど、育ってきた歴史が違うから、違うわけで、それをみんな同じで片づけてしまうとムッとする。

「同じ」っていうのと「違う」っていうのが、どちらも一歩も引かない、ぶつかり合いのなかに文学が生まれてくるわけで。これどちらかに振り切ってしまうとラクでしょうね。扱いやすくなると思います。

ただ、どうなんだろう、私は、龍サンの言っていることに全面的に賛成するけれど、もしかするとこういうのが文学だっていう制御できないものが、あるとかないとか、こういう求め方は文壇的なお仕着せかもしれないです。もはやそういう小説を探すことの骨折り損を、シミジミと思い知らされている今日この頃では。

ほんとうにみんな「そこを見たい」のかな・・・。
「それが小説の魅力」だとみんな思っているのかな・・・。
審査する方々は「みんな」を考えなくてもよいのかもしれないけれど。

もしもそうでないのなら、文学はどこで評価できるのかと考えてみると、まず手っ取り早く「共感」ってことに、なるのかな。商売ッケたっぷりの、マスコミ的にもカタイ商売だし。それでいいじゃん! でいいのかもしれない、とも思うけれど・・・、

芥川賞全集を1から読んでいると、むかしはアツくて書かれた小説も読みごたえがあって、よかったですよ。私は単純に面白い日本の小説を漁る道案内として使ってますけど。候補作の情報も載っているし、審査員の方々のお話から、いくらでも支流を手繰ることができるしで。

いまとなっては文学なんてマイナーな1ジャンルでしかないから。
マイナーな1ジャンルでしかないのに、いまだに芥川賞は権威を持っていて、広く世に問うてしまい、みんな、なんとなく、そんなふうに受け止めてしまうから。作家は別だけど。読み手の側としては。

もういンじゃないかという気がする、笑。
文学っていうのはこういうものだと貫き通していけば。
お客様に媚びてスタンスを見失い、うまくいったためしがないですよ。貫き通していくことで文学は1ジャンルとして生き残っていける、と思うし。じつは、それがいちばんカタイ商売じゃないかしらん。 

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高橋竹山は津軽の風景となる

津軽三味線 決定版


寒村に生まれた高橋定蔵は、麻疹をこじらせ半失明となり、小学校に入学するも2日でやめてしまう。将来を苦にした母は隣村のボサマ戸田重次郎のもとへ米1俵と布団ひと重ねを持たせて定蔵を送り出した。それから師匠とともに北海道、青森、秋田などを歩いて門付けをして生計をたてた。戸の閉まった家を一軒ずつまわり、三味線を弾く。よければ戸が開いて家の人が顔を出し、お米かお金を一握りくれる。泊まるところなどないからお宮の片隅に身を縮めるようにして寝たという。寒い日もあれば暑い日もあり、家のまえで三味線を弾くことすら、うるさく思う人もあっただろう。師匠から離れてひとりで門付けをするとき、さびしくなると、かならず三味線を弾いたという。稽古すると同時に三味線が定蔵を慰めてくれたのだ。定蔵はのちに竹山となって、ただの伴奏楽器だった一地方の三味線を独奏楽器まで高め、日本全国そして世界へと広めた。後年は弟子も抱えて生活もそれなりに豊かになったけれど、「おらあ、乞食芸人だ」と言っていたという。竹山は乞食芸人のまま、87歳で亡くなった。今年、2010年、高橋竹山は生誕100年を迎える。

高橋竹山オフィシャルサイトに詳細あり

竹山ひとり旅 [DVD] 高橋竹山・その人生~音は枯野をかけ廻り~ [DVD]


太宰のふるさとの新聞、東奥日報には、生誕100年を紹介するようなかたちで高橋竹山の特集記事を出している。作家の五木寛之さんと、映画監督の新藤兼人さんがインタビューに答えていて、もうこのまま全部載せたいくらい、おもしろい内容だった。おふたりのカラーもよく出ているし。ネットで出していないかと探してみたけれど、出ていないみたいで、残念。五木さんは、津軽三味線を歴史的・地理的に説明し、大きな視点で語っている。日本の伝統音楽は、弥生的なものと縄文的なものとの2種類に分類でき、津軽三味線は後者であり、大陸的な力強さがあるという。「地図をひっくり返し、日本海を黒く染めて考えると、沿海州から朝鮮半島、中国、それから北陸、全部入ります。12歳までピョンヤン(北朝鮮)で育ちましたが、そこで聞いたパンソリという歌の激しさと強さが忘れられない。その激しさと強さが津軽の民謡の中にあります。「じょんから」にも何にしても。同じ民謡でも、石川県金沢市では山中節とかお座敷芸的な民謡が多い。加賀百万石の大名文化だから。これに比べるとなぜか三陸海岸から南部、津軽にかけて大陸的なものが残っているのは非常に面白いです。奈良平安の音楽の中には朝鮮半島、中国大陸そしてシルクロードを経由してね、向こうから伝わってきた流れがあるんでしょうね。(東奥日報1月1日第3特集より抜き出し)」新藤さんは、過去に竹山の映画を撮るために密着して取材した経緯があるので、人となりに寄り添った語りとなっている。「楽天的というか、やっぱり度胸が据わっていた。この生活に耐えて生き抜く――という達観の中から生まれた楽天性なんですね。(略)竹山さんの三味線がどこか優しくてすごいのは、心に通じているから。(略)劣悪な生活で、野に泊まり、大衆からさげすまされて生活して。警官に追い払われ、寒風の下で冷たい飯を食べ、青年期を過ごして。どうして美しい心を持ったのかと思いました。(略)美しい心でないと美しい音は出ない。うまいだけじゃ出ないんです。(上と同じ)」

お三味線の聴き方は分からないけれど、私などが聴いても音がまろやかで、激しいなかにも優しさがあり、度量の広さみたいなものを感じる。その度量とは竹山の場合、そのまま地べたにつながっていて、悲しみも喜びも流した汗も涙も受け入れて染み込むしかない、後から振り返ってみれば、土地は豊かに肥え広がっている。山や川や、風や雪などが、吹きっさらしの家々の戸をたたく。竹山がたたくのではなく、それらがたたく。歩いた道なりにそって竹山は津軽の風景そのものとなる。新藤さんの言う美しい心とは地べたに染み込んだ後の地べたの美しさのことだろうか。厳しい気候と飢饉で痛めつけられた津軽の地の美しさ。竹山は津軽そのものであり、地の美しさを思い起こさせてくれる、やはり凄い人なのだと思う。

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