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太宰治をめぐる旅~禅林寺 天下茶屋 斜陽館 津島家新座敷

太宰治~風の便り


三鷹の禅林寺は太宰治のお墓のあるところ。尊敬する森鴎外のお墓があって、ここいいなぁ、って生前に言っていたから、実家以外では禅林寺がよいだろうということで。6月19日の命日には毎年ここで桜桃忌が行われ、そのもようはニュースでも報じられています。
私は若い頃に一度行ったことがあります。なんでもない日常の風景はどんなだろうと思い、桜桃忌ではない日にちを選んで行きました。もう禅林寺はちゃんとしたお寺です。背筋が伸びる。ちょっとごめんなさいよと腰をかがめて入って行きました。伸びた背筋も曲がるという、鴎外サンのお墓と向き合っているから? なんとなく場違いな感じがして、太宰サン大丈夫かしらんと余計なお世話で心配したりして。桜桃忌のときは太宰ファンが集まるので、お寺の方が太宰カラーに押されてしまうのかな^^;

「富士には月見草がよく似合ふ」で有名な山梨御坂峠の天下茶屋。豊穣な太宰文学中期は、ここから開花してゆきます。井伏サンに呼ばれて行ったらしいのですが。なんやかんやと心配して骨を折ってくれる井伏サンの紹介で出会った方と結婚したことが、太宰文学の転機となりました。太宰文学中期を評価する論者は多いと思います。
私が行ったのはちょうど秋で、天下茶屋まで登って行く道が紅葉で美しかったです。ちょっと話はズレますけど、私は奈良の次に山梨が好きで、友達と一緒に(あるいは1人で)休みを利用しては新宿から出ている高速バスに乗り、よく山梨に遊びに行っていました。ホテルや旅館がいっぱいあるでしょう、そこで住み込みのバイトまでしたことがあります。なにせ高校のときから働いていますから^^ そうですか? というのを山梨では、「ほーけー?」って言いますね。とぼけた感じの(?)方言もやさしくて好きです。天下茶屋は浮世から離れた展望のよい場所でした。空気がきれいで目が覚めるようでした。

太宰文学を語るとき、だれもが太宰の生家を語ります。生い立ちを指のはらでなぞるようにして。いわゆる私小説作家の評論には欠かせない要素となっているようです。その生家である斜陽館は、資産家の大地主が建てた家らしく、洋の感覚も取り入れた、洒落た総ヒバ造りの豪邸で、いま見ればそうでもないかもしれないけれど、当時の様子を想像すれば、圧巻というより異質です。だれもが生家を語るためか、観光の1つとして読者ではない人もよく訪れているようです。
私が行ったときも観光客でいっぱいでした。太宰ファンじゃない連れと一緒だったので、しげしげと見れなかったのが残念です。ひたと壁に身を寄せて触ってみたく思います。何十人もいた使用人が毎日雑巾がけなどしたのでしょう。彼ら彼女らの思い出の「家」でもあるのでしょう。太宰とその周辺の人々の、消えることのない、思い出のいっぱいつまった「家」です。

太宰治~風の便り~ポストカード


津島家新座敷は、2007年の冬に一般公開したそうです。昭和20年7月、太宰は妻子をつれて故郷へと帰って来ました。「戦禍をのがれるために」という理由で。太宰ファンなら「ん?」と思うところです。過去のあれやこれやのいきさつがあって。しかも妻子を連れていますから。旅行じゃなくて、生活する場であるのだから。
この疎開の家は、もともと長兄の結婚を機に建てたらしいです。津島家の人たちがこの家を指して新座敷と呼んだ、らしい。そこへ太宰家族がやってきて、1年数ヶ月、暮らした(生活した)ということです。
だから生家との、わだかまり、ずっと重くのしかかっていた、太宰の存在に深く影響を及ぼしたであろう故郷の影を、疎開によってこちら側へと引き寄せて、生活の場で、こなれていくように、もしかすると和解への手筈を整えていったのかもしれません。事実、このときも太宰は精力的に仕事をこなしていましたが、世に出された作品の数々は、暗く息苦しい戦争という時代とは歩調の合わないものです。「「冬の花火」「春の枯葉」「パンドラの匣」「十五年間」「苦悩の年鑑」「男女同権」「親友交歓」「トカトントン」「海」「嘘」「貨幣」など、二十数作が この一室から生まれました。」と、現在、新座敷を管理されておられる方が書かれています。これらの作品を思い浮かべると、もちろん太宰らしさは変わらないけれど、心の余裕を感じます。明るいとか暗いとか、ではなくて。戦争中で、疎開した先で、なのに、余裕を持って作品を書いたように感じられるのは、やはりそこに、和解への道がついたからではないのかと、想像できます。妄想ですけど。
じつは私、新座敷へはまだ行ったことがありません。公開されたのがわりと最近なので。知りませんでした^^; 新聞記事で知りました。
このときの新聞記事をもとにして私なりにブログ記事を書きました。私が知らなかったので、みんなに知らせてあげようと思って。すると新座敷を管理されている方から思いがけなくメールを頂戴しまして、それから私がヘバリ付いて(笑)、お付き合い、いただいております。今回、私が入院して、退院したら、退院祝いで太宰サンのポストカードを送ってくださいました。ううう、嬉しい。ありがとうございます!

禅林寺と天下茶屋、斜陽館にもう1つ、津島家新座敷を、太宰治をめぐる旅に加えました。現場へ行ってみないことには、わからないことが多いです。それまで下調べしてわかったつもりの考えが、現場へ行って、ひっくり返ってしまった、なんてことは、よくあります。時の奥行き。平面から立体へ。

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『贋金つくり』アンドレ・ジッド

「でも、その宙ぶらりんの立場ほど長続きするものはないのよ。それを解決しようとするのが、あなたがた小説家の仕事じゃない?

人生では、何一つ解決なんかしないわ。みんな続きなの。
いつまでも不安定な状態から抜け出せず、最後まで、どうしたらよいかわからずじまい。
その間も、まるで何事もなかったように、人生は続いて行くんだわ。そして、そのことも諦めてしまうの、ほかのこと……、すべてのことと同じように」



背徳者 (新潮文庫)


私は『筑摩世界文学大系』で読みました。こちらはアンドレ・ジイド『ニセ金つかい』となっていますが、入手できそうな岩波文庫にならってタイトルをつけました。詳しい内容についてはこちらのサイト様の案内をどうぞ。

解説によると『贋金つくり』はジッドの失敗作ではないかという評価が一般的であるらしく、かしこい評論家や研究者の意見に相槌をうてば感想文もたいてい似たようなものになってしまうのだけれども、ジッド文学を考えるうえでこの作はハズせないという意見については、だれもが納得できるだろうと思われます。

一言で言うと、これまでの小説の書き方を見直して独自のスタイルを構築しようとした実験作です。
小説らしく書かれた小説しか読んだことのない読者には、ヒジョーに読みにくい、掴み難い小説であろうかと。だれと誰がどういう関係で、話はどこへ向かうのか、スジはどこにあり、なにを言いたいのか、などなど、ぞくぞくと不満が噴出しそうです。そこで先に引用したポーリーヌという女性の言葉。人生では何一つ解決などしない。最後までどうしたらよいかわからずじまい。彼女はそれを身に沁みるほど知っていて、諦めてゆくしかないとも言っています。だから小説家は、せめて小説のなかでは解決して欲しいし、小説とはそういうものでしょうと言っているわけです。
これに対してジッドの回答は小説全体で表しています。小説とはそういうものではない。だからこの小説は解決という解決は用意されていない。小説という狭い箱のなかに人生を押し込めることなく、読者と作者その両方にとって都合のよい変形を施すことなく、ありのままの人生そのすべてを表現しようとした小説である、というわけです。

狭き門 (新潮文庫)


となれば、小説は小説らしく書かれることに抵抗し、さまざまな人々の人生が意図なくバラバラに世界へと散ってしまうのは致し方のないことかもしれません。登場人物ひとり一人は会話も交わし、なんらかの接点を持ち、それなりに介入し合っているのだけれど、なんというかこの肉体の両脇をすり抜けて行ってしまうような不確かな関係しか持ちえていないような気さえする、いや今風に関係性が希薄だとか、そういうことじゃなくて。
私の人生の責任は、私にしか取れないというか、個々に生きるしかない、あたりまえの孤独をみんな抱えて生きているというか、そういう人々が、まるで夢物語のように、小説らしく、確実に関係を結ぶことはなく、掴まえようにもこの肉体の両脇をすり抜けて行ってしまうような、そこはかとない悲しみが、人生のすべてを表現しようとした、この実験作の底に流れているかのようです。

「そこで、ぼくは考えたのです。掟なしに生きることを認めるわけではないが、その掟を、他人からあてがわれることも認めないぼくは、どうやって掟を立てたらいいのか、と」

「その答は、簡単のようだな。その掟を、自分自身の中に見つけること、自らの進歩を目的とすることさ」



「見込みのある連中は、未知に向かって乗り出して行く者だけだね。はじめ、長い間、岸なんか、皆目見えないことを、覚悟していなければ、新しい土地など発見できやしない」



田園交響楽 (新潮文庫)


私という個人が1本の直線だとすると、その直線が四方八方から引き込まれているのが世界の姿であり、小説はそのまま書かれようとしているのだけれど、あくまでも個人としての1本の直線にこだわって描かれています。なので、その1本1本の直線が、より強く引かれることを望むかのような、小説の方向としては、そちらへ向かっているようでした。

とこのように感想文を書いてしまうと、茫漠とした世界が混乱してゴチャゴチャに描かれているのかと思われてしまうかもしれないけれど。そんなこともないです。いわゆるストーリーで見れば人物や事件はちゃんと推移しているし、小説の終わり方など劇的な効果を狙ってバッサリと切り捨ててあったりと、おそらく読者が退屈しないようにとの配慮でしょう、人生のすべてを描くと言っても構成は綿密に図られているわけです。そういう努力のあとが見えました。こういう小説を書くのは大変だと思います。それこそ長い間、岸など見えない、苦しい仕事だろうと、想像します。

1つだけ難癖つけるとすれば、各駅で止まらずに急行で行ってしまったような・・・、もっと書き込んで欲しかったような、小説を、ブ厚くして欲しいというか。
ひとり1人の人生が急行で行ってしまうから、その辺がちょっと物足りなかったような気がします。その分、端整な作りとなっています。これ各駅で行ったらもっともっと長い小説になっていたでしょうね。こってりと、濃い、無骨な小説に。


背徳者 (新潮文庫)
狭き門 (新潮文庫)
田園交響楽 (新潮文庫)

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