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恥の文化の上に、日本の原発は建っている。

重みを増した瓦礫が海の底へと沈んでいく。その間をぬうように、原発の“数字”が目前で見え隠れする。まるで目玉のない魚の群れを追いかけているようだ。まだらに散った鈍色が波に揺らめいている。

フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)ジャック・ルピュサール所長のインタビュー記事より抜き出し/東奥日報

「われわれの原則は(放射線量など)観測数値に頼らず、(あらかじめ精度を高めた)事故の想定モデルから先行きを予測するというものだ。(現況を見極めようとして)観測データに頼ると対応が遅れる。それは大学研究者のアプローチだ。冷却機能喪失の情報があれば、今後何が起こるかの予測に実測値は必要ない。これは文化の相違だと思う。(中略)
福島の場合、テクノロジーへの過信があったと思う。フランスは(事故は起きるとの前提で)想定モデルの開発に巨費を投じているが、日本には同様のモデルがない。」



国も東電も目前の魚を捕まえようとして、共に海のなかに入ってしまった。
後手にまわり、対応に苦慮し、そうして“数字”に踊らされた。
フランスの所長は陸にあがって全体を見渡せるだけの理性と知性がはたらいている。
なぜなら魚の群れ(原発の“数字”)を必要以上に追う必要がないからだ。

「安全性は確保されている」、で終わってしまう日本と、安全性は絶対に確保されることはない、という所から原発と向き合うフランスとの違い。

「文化の相違」=失敗は許されない、そういう土壌の上に、日本の原発が建っている。
絶対に安全でなければ許されない。だから「絶対に安全です」とだけ繰り返してきた。
いつの間にか絶対に安全=「テクノロジーへの過信」へと堕ちていったのだろう。

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 より抜き出し

リスクを取ろうとする意欲と、失敗に対する反応は、国によって大きなばらつきがあります。失敗したときの悪い面が多すぎて、個人がリスクに対して過敏になり、どんなリスクも取ろうとしない文化があります。こうした文化では、失敗が「恥」と結びついていて、若い頃から、成功の確率が高い決まった道を歩くよう教育されています。失敗したら恥をかくようなことには、挑戦しようとしません。(中略)
一口にリスクと言っても、一様でないことにすぐに気づきます。面白いのは、ほとんどの起業家に大きなリスクを取っているという自覚がない点です。状況を分析し、すばらしいチームをつくり、計画の詳細を詰めていくと、できるだけリスクを減らしたと感じます。実際、事業からリスクを取り除くことに、エネルギーのほとんどを注いでいるのです。(中略)
ジェフ・ホーキンスは、物事が順調なときほど心配になると言います。すぐ後に失敗が大きな口を開けて待ち構えていることを知っているからです。・・・
そして実際、問題は起きたのです。・・・ここで大事なのは、問題が起きることをジェフは想定していた、という点です。どんな問題かがはっきりわかっていたわけではありませんが、いざという時に即座に対応できるだけの心の準備ができていました。自分の経験から、失敗は避けられないものであること、成功のカギは、すべての弾をかわすことではなく、いかに素早く立ち直るかにあることを知っていたからです。



地震予知には途方もない額の予算をあてるのに、地震後の想定はあまく、手薄らしい。
その準備に「エネルギーのほとんどを注」ぐことで「リスクを減らした」と錯覚する、らしい。
学歴社会は崩壊したかに見えて、いまだ学生さんらは一流企業を志向するらしい。
やり直しがきかないのだろう、または難しいのだろう、1つの線路を走り、「すべての弾をかわす」。
あたったら、終りだ!?
よくもわるくも恥の文化と罪の文化か。菊と刀 (光文社古典新訳文庫)
文化によいもわるいもないけれど、日本には、原発、むいてない、と思う。
「すべての弾をかわす」なんて、不可能だ。

ところで原発マネー。
受け入れる地方の背負ってきた歴史とその経緯を考慮せず、大量生産に慣れきった感覚で、平たくならして解釈すれば、とうぜん厳しい言葉も出てくるだろう。しかしこれは別の話だ。

そんなことより、対地方で交渉しても、いざ問題が発生すればその地方だけにとどまらず、日本全体に影響を及ぼし、ヘタすると世界にまで広がってしまうのだから、すくなくとも国内の、どこに原発を建てるのかを考えるとき、交渉する相手はその建てる場所に住まう人々である、とは限定できない。
まず国民がそれをよしとするかどうかだ。どのような未来予想図を描いているのか。
こちらが先で、その後に具体的にどこ(なに)なのか、という話にならないと。あたりまえのことを言っているようだけど、そうでもない、勝手に決められて、動いてしまうのである。そうして建ってしまえば、これを停めるのは至難の業だ。

大きく分けて、自然エネルギー、化石エネルギー、原子力エネルギー。
コスト等の話は後まわしでよいと思う。国民の求める未来予想図がなによりも優先されるべきで、それを実現させるために努力するという道順が、まっとうである。
行き方が逆なのだ。目前の“数字”から未来を起こしていくのではなく、未来から目前の“数字”を見直し、現実にする努力をしよう、と。いますぐどうこうはできなくても、50年後、100年後は、違うよ?
未来予想図を吹き飛ばす勢いで、ここでもまた目前の魚の群れを追いかけているのだ。
目前の“数字”がすべてではない、ということを、わかってもらうのは、とても骨の折れることだ。

善徳女王 DVD-BOX I (ノーカット完全版)より

王女様は何とおっしゃいましたか
真実と希望と話し合いで民を治めると?

民は真実を重荷に感じます
希望は持て余し
話し合いは面倒がり
自由を与えると 迷う

民は即物的なのです



この後ドラマは民の支配の仕方について語りはじめる。

国民が未来予想図を決められないのなら、だれかが代わりに決めていることになる。
すっきり書けば支配のもとにある。どれだけバカだと思われているのだろう。
地震大国日本にふさわしいエネルギーを、国民が話し合い、選択する。
そういう明日が来るといいな。
エネルギーの選択は、生き方、価値観、なにから何まで、変えてしまうだろうけれど。

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