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『啓示』フラナリー・オコナー

オコナー短編集


ターピン夫婦は善良な白人で、どう生きればよいのかも心得ていて、そこそこの土地と食うにこまらぬ財産もある。しかもそれらを自らの人生へと結実させるための努力も惜しまない。分別ある夫婦だ。

ある日、夫のクロードが足に怪我をした。雌牛に蹴られて腫れ物ができたそうだ。ターピン夫人も病院へ付き添っていった。待合室には分別のなさそうな連中が陣取っている。ざっと見て腰をおろす場所がない。いやないのではなく分別のない連中がターピン夫婦を座らせまいとしている、いやいや、座らせまいとする意識すらはたらいていない。連中はものが分からなくて気づいてさえいないのだ。ターピン夫人にはそう見えた。<席を譲るべきでは? あるいは少しずつズレて腰かけられる場所を空けてくれてもいいのに>と思わずにはいられない。そこでターピン夫人は皆に聞こえるようにこう言った。「クロード、あなたはその椅子におかけなさいよ(p174)」。夫のクロードは妻に押されるままに押されて腰かける。彼は妻の言いなりだった。

行き届いていない(どちらかといえば不潔な)病院の待合室で、ターピン夫婦も交えての、さまざまな会話がなされている。めいめい自分の意見を言い合う。思うことを話す。ちょっとした日常の些細なことだが、物事の捉え方のなかに生きざまが凝縮されている。しかも診察室へと呼ばれる順番を待ちながら。この空白の時間。凝縮された生きざま。それぞれの日常を持ち込むのにうってつけ。口や脇の下や靴下のにおいなんかがすぐにでも溢れ出し、だれでもよいから腹いせに自分の体臭を口に突っ込んでやりたいフラストレーションが高まってゆく。密閉された<待ち>の時間を伏せているまに日常、生きざまが、溢れ出してしまうのである。ターピン夫人は敏感に感じとり、誰彼かまわず点数をつけてゆく。彼女の分別はマトモで正しい。生活を維持するために知恵と努力を惜しまなかった人らしく、正しい。分別ある彼女のいいぶんは、一見してどこも間違ってはいないのだ。

彼女にとっては気ままなオシャベリのさなか。「わたし自身のことで一つだけたしかなのは(略)感謝の念に満ちているということです。今のわたし、わたしの持っているもの、いろんなものを少しずつと、それから、気立てのよさ、そういうものが全部なかったらどんな人間になっていたか、それを考えるとわたしはこう叫びたくなるんですよ。『ありがとう、イエスさま、すべてのものを今のようにしてくださって!』とね。今と違っていたということもありえるんです!(p193)」

とその時、待合室にいる娘の1人が、いきなり彼女に襲いかかってきた。
娘は止められたが、ターピン夫人へのいいぶんはこうだった。

もといた地獄に帰りなさいよ、老いぼれの いぼいのしし(p196)



彼女はこのことを気に病んだ。自分のどこが足りなくて、どのように罪深く過ちを犯して、このようなひどい言葉を浴びせかけられ、蔑んだ小娘に言いたい放題、不意打ちをくらって、やられなければ、ならないのか。家に帰ってもこのことが頭から離れずに、さまざまに考えをめぐらしてみたり、使っている黒人たちにも話して聞かせたり。黒人たちはターピン夫人の顔色をうかがって、ご主人さまを庇うようなことを言っていたが、彼女の気は晴れない、どうせ黒人どもに言っても・・、とますます気分は落ち込むばかりだ。以下、カギカッコだけ抜き出し。

「いぼいのしし じゃないわ。地獄にいたこともないわ」
「そんな言葉をなぜわたしに送るの?」
「どうしてわたしがわたしであると同時に いぼいのしし になるの? どうしてわたしが救われているのと同時に地獄から出てきたことになるの?」
「黒人だって、白人だって、このあたりにいる屑のような人間で、わたしが何か恵んでやらなかったものはひとりもいないのよ。くる日も、くる日も、背骨が折れるほど働いているのよ。それに、教会のためにも尽くしているのに」
「あそこには屑がおおぜいいたのよ。わたしでなくてもよかったのよ」
「もし屑のほうが好きならば、屑を取ってくればいい」
「わたしを屑にしてくれてもよかった。黒んぼにしてくれてもよかった。もし屑を欲しかったのなら、なぜわたしを屑にしなかったの?」
「わたしは仕事をやめて、のんびりして、きたならしくしていられるのよ」
「一日じゅう歩道をぶらぶらして、ルートビアを飲んでいることもできる。噛みタバコを噛んで、水溜りという水溜りにつばを吐きちらし、顔じゅうに塗りたくることもね。わたしはきたならしくなれるんだよ」



ついに彼女の怒りは爆発する。

「いいわ」と彼女はわめいた。「わたしのことを いぼいのしし と呼びなさい! もう一度、いぼいのしし と言ってごらん。地獄から出てきたって。(略)
何もかも上下引っくりかえしにしてごらん。それでもちゃんと上と下があるんだよ!」(略)
「あなたはいったい自分を何だと思ってるの?」



『啓示』は短編で数ページしかない。小説はすでに結末へと近づいた。終わりはターピン夫人の見た幻の風景で、これといって身振り大きくオコナーはオチなどつけていない。
なぜ私が、とターピン夫人が考えるのと一緒になって小説をさかのぼって考えたくなるような、オコナーの仕掛け方だ。すると良いか悪いかどちらでもないかに振り分けられてしまうが、須山静夫訳ではカッコでくくり訳注が付いている。

多くの先なる者後に、後なる者先になるべし
「マタイ伝」第19章30節を参照(p209)



ターピン夫人の見た幻の風景は、さまざまな魂が大きな群れとなって現われたものだ。その群れの最後にターピン夫人と同じような人々がやってくる。ところが小説の最後では「彼女が聞いたのは、星の輝く天上の原に向ってのぼって行く魂たちが神を讃美して叫ぶハレルヤという声だった。(p209)」となっている。先か後か、もはや私には判然としない。ただターピン夫人が不意打ちをくらって安定しきったはずの地盤がぐらぐらと揺れてしまったこと。頭のおかしい娘だとやり過ごすこともできたのに、「そんな言葉をなぜわたしに送るの?」と言ったこと。彼女の人を見る目、どんな種類の人間かと判断する基準はシンプルで決めつけが厳しいけれど、きっと啓示は届くのだろう、先か後かは分からないけれど。

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