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『うつせみ』 キム・ギドク監督

うつせみ


うつせみ
「韓国の北野武」と言われている。その容赦ない暴力性、あまりにインパクトが強くて「キム・ギドク監督」と言えば半分逃げ腰になる。映画は変遷するも10年くらいでは洗い流せないほどに。それでも彼の映画は変わり続けている。目が離せない監督であることは確か。1本選ぶとすれば私は『うつせみ』を選ぶ。現実と幻想が抱き合うキム・ギドクの世界が見事に昇華された傑作だ。第61回ヴェネチア国際映画祭監督賞受賞作品。むずかしい話はともかく、「次、どうなるの?」といった、エンターテインメント志向にも、じゅうぶんに応えてくれる作品だと思う。

(あらすじ)嫉妬に狂う夫によって、ソナ(イ・スンヨン)は家に軟禁され、抜け殻のような生活を送っていた。ある日、家に侵入してきたテソク(ジェヒ)に助けられ、その家を出ていくことになる。テソクは留守宅に侵入する常習犯だった。自分の家のように使っては、また次の留守宅へと転々とする。盗みはせずに、逆に留守宅を整備し、清潔にして出ていくのだ。ソナは彼と行動をともにする。愛が芽ばえ大切な人になる。ところが或る留守宅で死体を発見し、ふたりは誤解されて捕まってしまい、離ればなれになるのだが…。(2006年/韓国映画)

Web上では宮台真司さんが詳しく説明しておられる。
この下の記事「キム・ギドク監督」リンク先にあります。

なぜテソクは留守宅に侵入するのだろうか。
生い立ち、性格、そういったバックストーリーのことではない。AかBかCか、そのくらいのバリエーションしかないから監督も説明していない、この場合、それほどの意味はないと思われる。問題は、なぜ侵入するかだ。そして、その留守宅を整備し清潔にするのはなぜか。お邪魔した換わりに一仕事といった意味にもとれるけど…。ソナの家では、ソナまで連れ出してしまう。横暴な夫に怒り、正義感から連れ出したとも読めるが…。
原題は『空き家』だそうだ。空き家に侵入する。ソナの心にも侵入する。見知らぬ家々の、人々の、不足し、あるいは壊れた箇所を治して歩く。それがテソクの生き方だった。
捕まった後、彼は訓練し、さらに侵入する足音を消してしまう。最後は気配だけが残る。気配とは何か、そんなものが有るのかどうかは知らないが、ただ日常「気配を感じる」ことはある。「そこに誰かがいる」と認めることがある。この目で見て、触って、そこにいることを知っている人よりも、「そこに誰かがいる」と強く思うときがある。目の前の人よりも、気配の方が、存在として強く感じられるとはどういうことなのだろう。

これだけ多くの人々が行き来している。友人、家族、学校、会社など、さまざまな「家」がある。けれど、その「家」は空き家かもしれない。誰も通りを歩いていないかもしれない。「気配」になって初めて「家」には人が住まい、通りを人が歩くことができるのだ。
と結論じみたことを言うまえに、彼は求められて留守宅へと出向いて行ったわけではないことを思い出さなければいけない。彼は留守宅を探し、みずから侵入する。頼まれもせずに入って行く。空き家に人を住まわせ通りを人でいっぱいにしたいのは、彼なのだ。物語は彼に還って行く。彼自身が空き家であり、通りを歩いていなかったのだ。そこを経由して「気配」になるという話だが、そう一足飛びには行かずに「気配」まで辿り着いてしまった彼の、そのままの彼を映画のなかで感じていたりもした。映画は解釈するばかりでなく感じとるものでもあるのだろうから…。静かで幻想的な美しい影像も印象的だった。

この映画の主人公たちは一言も喋らない。ずっと無言劇が続く。
最後になってソナが口を開く。「愛している」と。
「私たちが住んでいるこの世が、夢なのか現実なのか誰にも分からない」と映画は言い残して終わっている。ひょっとして、ソナの想像の世界、テソクも実在したのかどうなのか!?

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