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連塾 方法日本II『侘び・数寄・余白~アートにひそむ負の想像力』松岡正剛(2)

神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く (連塾方法日本 1)


神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く (連塾方法日本 1)の次が、連塾 方法日本II 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力 (連塾方法日本 2)です。

タイトルどおり、こちらが芸術寄りの内容となっています。それで「2」だけをご紹介。続きものなので第四講から始まっています。目次と、内容を簡潔に。先に書き出しておきます。

第四講 「文」は記憶する
  目の言葉・耳の文字・舞の時空・音の記譜
  ――インタースコアとインタラクティブシステムの歴史
並列する文化/インタースコアとしての日本/森林文化のメソッド/編集とは情報を「関係」させること/スコアの奥にあるコードとモード/型×デザイン=多様性/デザインはルールを生み出す/プロフィールが「文」を刻む/日本のすべてを「櫛」にする/文化の距離感「プロクセミックス」/スコアとは何か/邦楽には五線譜がない/「限界」が情報を創発する/ちょっと変、が「座」の誕生/身体と歴史を刻む「文の世界」/世界には「名前」がついているか/「肉声の文字」を宿すまで/書物は声に出して読みたい/意識と無意識のあいだに“メディア”が生じる/戦争する言語/日本語を越境させるということ/秘められた書物の力/文字の記憶、書物の身体/本棚が動き出す空間/「垣根」を書物として読み込む/日本舞踊は引き算からはじまる/「昔の雨」が降ってくる


<内容>
日本は見失っているのではないか? と漠とした疑問を抱く人は少なくないでしょう。
提案が出されるたびに、事象が起こるたび、良いのか悪いのかどうなのか、どういうことなのか、それを決めるにしても、どこを見て判断すればいいのか、政治、ビジネス、日常生活あらゆる場において。そういう見失い方です。
もう一度掘り起こして炙り出すための方法がインタースコアです。これ松岡さんの造語で、インター(相互)するスコア(記譜)のことだそうです。
「インターする」とは、異なっているように見えてもどこかでつながっているという考え方で、歴史文化のテクストはバラバラではないと、1970年代フランスの思想家たち(ロラン・バルトやジュリア・クリステヴァ他)が提唱したインターテクスチュアリティ(相互テキスト関連性)、そこから発展させて、私たちの感覚や感性も「スコア」に置き直してみれば、どこかでつながっているのではないか、という視点で、
第四講では、もともと日本はどういう「スコア」だったのかを振り返り、現在のそれと照らし合わせ、「スコア」の奥に潜むものを探りつつ、判断する起点を炙り出そうとしています。
「主題より大切なものが方法で、方法を主題に従属させてはいけない、方法によって主題を侵していくくらいでなければいけない(p18)」

第五講 日本美術の秘密
  白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし
  ――枕草子・枯山水・宣長・幕末三舟・イサムノグチ・三宅一生
梅窓院から日本を考える/「連塾」とは編集の場である/「好み」とは何か―椅子は奏でる/「時間」のプログラム―「次第段取一切」/プログラムは「風来」し、「行方」をくらます/「始まり」から「終わり」への母型/おもかげの国の文化とは/日本の中心には「空」がある/「ウツとウツツ」の理論/神社には「何もない」/負としてのヒルコ、正としてのエビス/流れて現れる神々/余白の美意識/日本水墨山水の頂点、雪舟/引き算の美とは/去来する等伯/「中国離れ」と江戸の文化/余白は成長する/枯山水―「負の庭」/想像の負―「心にてふさぐべし」/官僚としての岡倉天心/世界美術に抗する『悲母観音』/東京美術学校、開校―アジアとしての日本/都落ちと日本美術院の創設/『茶の本』のエッセンス/「二つの塔のあいだ」で“日本画”が生まれた/カラス族の方法―川久保玲/“二つの国”の血―イサムノグチ/外から内を見る/内から外を見る/完璧でないのが重要/「おもかげ」を装う服―三宅一生


<内容>
第四講の<内容>に、「日本は見失っているのではないか?」と書きましたけど、どれくらい見失っているのかといえば、かなり見失っています。物や言葉として遺っていても日本独特の概念を正確に把握できていないのです。たとえばこの本のなかに何度も出てくる「おもかげ」ってなんですか。辞書をひけば意味は出てきます。いまの日本人にはそれきりの意味でしかないです。かつての日本人はここに豊かに意味を(想いを)含ませたものでしょう。
見失っているというよりも、日本は日本でなくなりつつあると言ったほうが近いかもしれません。捨てることが発展することだと勘違いしたのでしょうか。いや捨ててしまうこと自体(そういう選択の仕方が)すでに見失っている、忘れてしまったのでしょう。グローバルな場を想定してみても、日本が日本を捨ててしまったら勝ち目はないかもです。
この日本独特の捉え方を説明しているのが第五講です。
日本といえば見えてくる、いくつかのキーワードがあります。ハリウッドが映画にしたような「日本らしさ」。そういうことではなくて、もっと根本から掘り下げています。白紙も模様のうちなれば、日本の中心には「空(くう)」がある、「ウツとウツツ」の理論などなど。読んで面白く感じられるのはそれだけ遠い風景を展開して見せてくれているから。ああほんとうに遠いです、汗。

第六講 「負」をめぐる文化
  正号負号は極と極。いづれ劣らぬ肯定だ
  ――引き算と寂びと侘び(夢窓・心敬から天心・九鬼へ)
「場」と「関係の発見」人は自然か人工か/日本の健康状態/日本になったもの/伝統と革新はなぜ見えなくなったか/近現代国家の矛盾/何を世界に誇れるか/伝統は前衛的に革新する/高揚する文化/かぶきものは出遊する/太郎の悪寒、清張の闇/「みかけ」と「なかみ」/日本では「真実」が機能しない/「顕」の歴史、「冥」の歴史―サダメナキ道理/「道理」が法になる/正負のリバースモード/「負」の刻印/座頭市の哲学/「と金」の文化論/「侘び」を撮る/「反映」する美の空間/侘びに秘められたる、恋/現実と実感の「ちょっと」/日本文化の成り立ち/編集的マスキング/江戸の想像力/樋口一葉の「いやだ!」とは/「厭う恋」を求めて/隠れと蘇りのメソッド/衰微の美学/負をどう語るか/負の拠点/境の国の『夜明け前』/境界に潜む悲しみ―金子光晴・野口雨情/異質との出会い―九鬼周造/司馬文学の方法論/「真水の国」を探って/多様と一途は共存する


<内容>
「日本が何をめざそうとしていて、何に迷っているかということ、そのことに日本人自身が目を覆われているというか、暗(くら)まされているというか、足を止めているように思うのですが、そうしたときに、どこから突破していけばいいのかということを考えたいのです。(略)日本にとっていったい「伝統と革新とは何なのか」ということでもあります。また、「保守と前衛とは何か」ということです。われわれは何をもって伝統とみなせばいいんでしょうか。能や歌舞伎が伝統で、ロックやヒップホップが前衛ですか。無形文化財が伝統で、IT技術が革新的なんですか。どうも、そのように見るのではまったく足りないのではないかと思います。いや、そういう見方はひょっとすると間違いではないかと思います。(p296~)」


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