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『黄色い雨』 フリオ・リャマサーレス

黄色い雨


『黄色い雨』 フリオ・リャマサーレス
生きることは、忘れることだ。そう言ってみる。
忘れることで、あらゆるものが生き延びている。
積み重なるばかりで息苦しく、澱み締め付けられ身動きすら出来なくなってしまうから、生き延びるために誰もが忘れてゆくのだろう。ただラクな方向へと、たとえば資本主義へと、負けて取り込まれたとばかりは言えないのだ。

その自然の営みのような、どうにもならない生きることに対して、みずから背いて生きた男がいる。彼は村に残り、村とともに崩れ落ち、透き通っていく感覚に、むしろ時を経て腐る一方になる。彼の記憶は捩れ、前後し、生と死が入り乱れる。村は彼の記憶そのものだ。村が彼自身そのものになる。ひとり、ふたりと、隣人が出て行き、みんな出て行ってしまっても、実の息子すら戻ることはないと知っていても、孤独に耐え切れずに妻が首をくくって死んでしまっても、たったひとり彼は村に残りつづける。小説『黄色い雨』は、村に残った彼の記憶だけが描かれている。

彼らがソブレプエルトの峠に着く頃には、たぶん日が暮れはじめているだろう。黒い影が波のように押し寄せて山々を覆って行くと、血のように赤く濁って崩れかけた太陽がハリエニシダや廃屋と瓦礫の山に力なくしがみつくだろう。(7頁)


この文章から、小説は始まった。
フリオ・リャマサーレスは詩人から出発して小説を書き始めた人らしく、こう言って許されるなら、詩の頭で小説を書いている。散文の軽やかさよりも、身振り大きく詩的に世界を作り変えようとしている。すでに出だしから世界はコラージュされて、カンバスに色濃く風景が塗り込められた。その風景から血のにおいが漂ってくる。生と死のはざまで落日が燃えている。おまけに「たぶん~だろう」と言う。「~だろう」がこの先もしばらく重ねられてゆく。たくらみに満ちた、美しいまでに詩的な小説。村に残る男は美しく詩的に村を作り変え、自然と対峙し、涙も流れない悲しみのなかで、その悲しみを美しさに変えていくのだ。

…詩は自分にとって祈りのようなものだが、祈りに似た思いを散文でも表現できるようになったので、小説や短編、あるいは紀行文を書くようになった…(解説・197頁)


祈りという言葉に納得した。父や祖父の残した家を守るためだと小説内ではそれとなく説明されているが、それだけではないだろう。忘れ、捨て去り、生き延びる社会への抵抗であり、村に居残るレジスタンスだ。美しく詩的に描かれるほど、読者は説得されてしまい、流れに流されて行かない、この男のような生き方もあるのだということを知ってしまう。その意味ではこれほど小説に徹した小説も少ないだろう。もっと大きく囲んで芸術と言ってもいいだろう。芸術とは経験に至るひとつの道だとすれば、悲しみの雨を降らせ、色濃く塗り込めて、蛇のように這いまわる時間の流れ、記憶、それらに浸してしまい、経験を作り変えてしまうのである。きっと読者はレジスタンス側にまわる。帯に書かれているとおり、「この小説を読むことで、あなたの世界は全てが変わってしまうだろう」。

祈りは「喜び」ではなく「悲しみ」のなかにある。
肯定よりも抵抗の側にある。今現在に適応し、肯定するシステムは、芸術の反対側にある。
リャマサーレスは「祈り」だと言葉にしている。そしてそのとおりの小説を書いている。彼には彼の祈りがあるのだ。私は『狼たちの月』と、この2冊しか読んでいないが、案内を読むと他の作品も同じような祈りを感じる。彼は抵抗している。忘れ、捨て去り、流れてしまう現在に抵抗している。『黄色い雨』の男と同様に、流れて行かない場所に居続けている。しかしそのことを決して肯定などしない。じっとみつめて、ただ愛している。その静かな愛が、活字で区切った書物から溢れ出し、きっと美しく見えるのだろう。

村に残る男には死より他にない。
彼は死を待つばかりだった。

近年、よく川岸まで降りて行くようになった。寂しさに耐え切れなくなって昔のことを思い出しても、孤独感を振り払うことができなくなると、仲間が欲しくなって川岸まで降りて行った。(136頁)

エラータ山やバサランの森とちがって、川岸の木立の中にいると、自分がひとりぼっちではないという思いが強くなる。事実、川岸の木立の中には自分の影のほかにも沢山の影があり、泡を立てて流れている急流の果てしない瀬音がつぶやきに似た言葉や音となって聞こえてくる。さまざまな影があることに気づいていたのは私だけだった。それはじっと見つめると煙のように消えてしまうので、現実には存在していないように思われた。(137頁)

時間は川と同じように流れて行く。最初は物憂げで弱々しく見えるが、年が経つにつれて速度を増して行く。川と同じように、幼少期の柔らかいアオサや苔が絡みつく。川と同じように、早瀬や滝を下るとともに速度を増して行く。二十代、三十代頃までは、誰もが時間を無限の川、自らを糧にして、永遠に尽きることなく流れる奇妙な物質であるかのように思っている。しかし、それがまちがいであったことに気がつく。その時が必ずやってくる(140頁)

時間は私の血管の中を見えない川のように流れており、時間がいよいよ尽きようとする時に流れはいっそう速くなって、目の前にある死の底知れぬ無限の地下水路へと人を引き込んでゆく。そうなると、いくらあがいても逃れることはできないだろう。時々、沈黙よりも孤独感に耐え切れなくなることがある。そんな時には、亡霊たちがひどく身近で、暴力的なものに感じられるので、ポーチ、あるいは台所のいつもの場所から逃げ出して、何時間も川岸を当てもなく歩きまわった。そうすると、私の血管を流れる死の水のつぶやきを忘れることができるのだ。(143頁)


動かない自分の代わりに、川は流れ動いている。
その流れは人を癒すかもしれないが、同時に有限の時を知らせ、死を引き寄せた。
その死を慰めるために大勢の死を埋めた川底へと自分の死を埋めた。

どちらにしても、その先には死だけが待っている。
背いた男の祈りが男のもとへと戻ってくればいい。

その時、中のひとりがふたたび十字を切って小声でこうつぶやくだろう。
夜が、あの男のためにとどまっている。(184頁)


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