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チョ・ヒョンジェ『ラブレター』コメント

元記事 : チョ・ヒョンジェ『ラブレター』で始まった韓国ドラマ

comment

adajio|
こんにちは。ほんの3ヶ月前に初めて「ラブレター」を見て、その作品世界に完全に嵌ってしまって何度も見返し、小説版を読み、ヒョンジェファンになってしまった(笑)者です。こちらとかんてら通信とどちらも読ませていただきました。本当に素晴らしい文章で、私の言いたかったことをすべて書いてくださっていたので、思わず書き込みさせていただきます。
 このドラマの最初のほうを見ているとき、漱石の「こころ」を思い出しました。求道者の「K」がアンドレアと重なる部分があり、また、近代人のエゴイズムの表象者としての「先生」も、ウジンでもあり、アンドレアでもあり、またウナでもあるように思えて、本当に、近代人の自我の問題をリアルに描いた傑作「こころ」と比べてしまうほどに「ラブレター」はすばらしい作品だと思いました。
 オ・スヨンさんは、アンドレアが偽善に生きるほど他人を傷つけ、また、チョン・ウジンはその逆に偽悪にいってしまう、その部分を描きたかった…のようなことを述べておられました。そうした「偽善と偽悪」とか、ほかに「アガペの愛とエロスの愛」とか、「キリスト教の赦しとは」とか、わからないなりにそんなことも考えたりしました。
 本当によくできた脚本だし、主役3人の演技も自然で魂の入ったものでしたし、音楽もすてきで(実は音楽にかなりはまりました。OST以外の曲を色々探していますが、なかなか見つからない曲が多くて、まだ苦労しています。)私にとっては、生涯ベスト1といっても良いドラマになりました。
 思わず、長く書いてしまいました。また、お伺いします。

kairou|
adajio さん、こんばんは♪

ここと、かんてら通信と、どちらも読んでくださったのですね。長いし、読むのに苦痛ではなかったかと^^; ほんとに、ありがとうございます、嬉しいです!

>このドラマの最初のほうを見ているとき、漱石の「こころ」を思い出しました。

夏目漱石の名前が出てきました^^
いま本棚から出して確認してみましたところ、新潮版では解説が江藤淳で、こう書かれています。

「漱石文学の核に潜んでいるのは、おそらくこの寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である。それは感性的なあらわれかたをすれば長唄に「恍惚(うっとり)」するような感覚になるが、倫理的に表現されれば儒教的な正邪曲直の観念となる。そしてこの美意識と倫理観は、実はわかちがたくまざりあっていて、彼の文学を特徴づけているのである。」
「…漱石を現代に生かしているもう1つの要素とはいったいなんだろうか? それはおそらく、彼が「近代」の影の部分を最初に洞察した作家だったという事実である。(略)「近代」を獲得するために派遣された彼は、間もなく「近代」が限りなく奪うことを知ってしまったからである。人間相互の信頼感を、安息を、日光を、田園と緑の樹木を。この状態を漱石は1900年から1902年にいたるロンドン留学のあいだに直接体験し、それが遠からず日本人をとらえるであろうことを予見せざるを得なかった。」

抜き出しが長くてすみません、でも江藤淳の解説を読んでいると、adajio さんのお気持ちが、より伝わってくるというか。たしかに私は「文学的だ」と感想文に書きましたけど、あの時、漱石の顔は浮かんでなかったです。ところがどうでしょう。ドンピシャじゃないですか! 漱石が浮かんだadajio さんが凄いですよ。いやー、そうなのかぁ。うんうん。←私なりに考えている、笑。

一応、これから見る方々のために書いておきますと、設定で見れば、ただの三角関係で、どこが文学的なの? という話になるのだけれど、内容に寄り添い掘り下げてみれば、adajio さんがおっしゃっているようなドラマとして見ることができると思います。

江藤淳が言っている「奪う」という箇所がちょうど、adajio さんがおっしゃっている、アガペとエロスに関わっていて、この近代の影の部分をキリスト教を下地としたドラマの中で扱っています。

これを、オ・スヨンさんが、また情に絡めて上手く描いています。

>アンドレアが偽善に生きるほど他人を傷つけ、また、チョン・ウジンはその逆に偽悪にいってしまう、その部分を描きたかった…

うんうん、そういう話でした(感慨深く)。
しかしこれは難しいことをやっていますよね。よくあの回数で表現したと思って。オ・スヨンさんのドラマは決して分かりやすくはないのだけれど、ハマると、ハンパなく、ハマってしまいます。音楽も素敵でしたよね~^^

ん。ちょっと江藤淳との絡みでもう少し説明したい気持ちもあるのですが、これくらいにしておきます、私が喋りすぎ><

adajio|
kairouさま

 早速にお返事いただき、またお褒め頂き、光栄でございます。ありがとうございます。
 私の持っている「こころ」は講談社文庫と角川文庫で、講談社のほうは江藤淳解説なのですが、文章が違ってました。kairouさんが書いてくださった江藤淳の文章、すごくいいですね。ありがとうございました。「奪う」についてもっと語っていただきたいです。
 
 私が着目したのは、いわゆる「近代人の自我」「エゴイズム」ってやつです。
 近代になって私たちは初めて自我を主張できるようになりました。ところが、漱石が「草枕」でいうように「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」でして、自己主張すれば必ず他者と衝突せざるを得ないのが人間社会です。そこで「建て前」いわば「偽善」的な生き方をすれば、人と衝突しないのかもしれませんが、それでは真に主体的に生きたとはいえないのだと思います。もちろん、漱石の「エゴイズム」の問題は「則天去私」という方向へ向きますので、アンドレア的世界とは本質的に異なります。それでも、私は漱石が提示した「エゴイズム」という近代の闇が、この作品に通ずると感じられるのです。

 で、アンドレアです。
 彼は、孤児として育ったがために、主体的な自我を持つことができない。偽善者なんですね。ところが、kairouさんがお書きになっているように、一見した彼の完璧さのために、その欠落した部分は周囲も本人も気づいていません。(いやもしかしたら、チョン・ウジンは無意識的に早くから気づいていたのでしょうね。何度もアンドレアの本音を言わせようとしています)

 何話でしたか、教会を出て行く時にペドロ神父に最後の挨拶をする場面、ペドロ神父がアンドレアに「お前を特別扱いできなくて悪かった」と謝ります。そこで、アンドレアは叔父さんに引き取られたとはいえ、決して母が子に与えるような絶対的な愛を受けて育ったわけではないことが再確認されます。
 生身の人間から愛された記憶を持たない彼は、自我を主張することに臆病な「偽善者」でした。例のラブレター(イタリアへ行く前に書いたもの)だって、イタリアへ行って1年後、「もし君が望むなら」僕は帰るという、他力本願な内容でしたものね。

 その克服は、チョン・ウジンとウナが導いてくれるんですよね。
 例えば、春川から帰った後、司祭の叙階を受けると宣言したアンドレアは、いらだちながらウナに言います。「僕がどれほど利己的か、ウナが証明してくれているんだ。頼むから僕をそっとしておいてくれ。」
 また、ウジンはアンドレアを追い詰め、アンドレアの口から「ウナを愛している」の言葉を引き出しますし、また、ウジン父の告解を拒んだことを通して、アンドレアの「偽善」を暴きます。

 そうやって、ひとつずつ、少しずつ、アンドレアが自己のエゴイズムに気づき、自己の醜さ・弱さを認め、受け入れていくその過程がすばらしい!!そして、未熟で醜い自己を受け入れた時、初めて他者を主体的に愛することができるようになるのですが、その「愛」がエロスなのか、アガペなのかでまたその先の道が険しいんですよね。
それはまた、次回書いてもいいですか?

 このドラマを見て、どなたかと語り合いたくて仕方なかったんですが、なかなか相手がいなくて…。友達にも貸したのですが、チョ・ヒョンジェは綺麗やねぇ(確かにそれは間違いありませんっ!)的な感想しか返ってこなくて。ずっと悶々としてました(笑)。
 kairouさんのほかの文章もいくつか読ませていただきましたが、すばらしい才能と見識をお持ちのお方だと感服いたしました。それで、私の拙い感想をお読みいただきたくなって、こんな長文を書かせていただきました。kairouさん同様、私的に書きとめておきたかったのだと思います。ここに書かせていただいたこと、場違いで不適切であったならごめんなさい。

kairou|
こんばんは! お返事の書き込み、ありがとうございます。
こんな所でよければ、adajio さんのお考えを、ぜひ書いてください♪^^ 「その先の道…」が気になります。

漱石先生に関しては、一見して、さらさらと小説を書かれる偉大な小説家ではありますが、難解で、それを読み解くべく評論、研究その他が山ほど世に出ていますよね。私などハナから匙を投げて、「智に働けば~」、ここなど、「ほどほどがいい」くらいの意味かなぁ、と思っていました。「漱石の「エゴイズム」の問題は「則天去私」という方向へ向きますので」、とありましたので、そう間違ってもいなかったのかしら、などと勝手に解釈しつつ、笑。

>それでも、私は漱石が提示した「エゴイズム」という近代の闇が、この作品に通ずると感じられるのです。

うんうん(頷く)。
奪う愛は、エゴイズムから発していますよね。アガペとエロスの話になりますが。抑え込み黙らせて、人知れず偽善となっても、それは変わらずエゴイズムだと。だからアンドレアはずっとエゴイズムに支配されていて、漱石がしめした近代の闇を体現している、ということを、おっしゃっているのだと思います。
キリスト教では、ここに神を持ってきて矛盾を解決するようですが、アンドレアはまさにそのように進んで行きますが、私はクリスチャンではないので間違ったことを書いているかもしれません。もしそうでしたらご指摘くだされば有難いです^^

そしてこの後の、adajio さんの書かれておられることが、的確で、見た人は「そうそう!」となると思います。私がそうなりました。ありがとうございます。

>そうやって、ひとつずつ、少しずつ、アンドレアが自己のエゴイズムに気づき、自己の醜さ・弱さを認め、受け入れていくその過程がすばらしい!!

そうそう! 少しずつ剥がされてしまうのね。アンドレアはこのままでいいって言っているのに、周囲が剥がしにかかってくるの。嫌でも気づかざるをえなくなる。私はアレが好きですよ、お母さんにタテ突くところ。もうヒョンジェさんの演技が素晴らしいです。ぼくはこのままでいいんだって、嫌味たっぷりに言うところが好きです。外に駆け出して、ふと立ち止まり、その背後に教会。確か、ふり返ってジャンプしたと思いますけど。そういう細かい所が1つずつ、少しずつ、アンドレアのエゴイズムを表現し、周囲は剥がしにかかり、「自己の醜さ・弱さを認め、受け入れていく」のですよね~。

>このドラマを見て、どなたかと語り合いたくて仕方なかったんですが、なかなか相手がいなくて…。

私でよければ。。
せっかく書き込みしてくださっても、あさっての返事を書いてしまうかもしれません、その時は、ごめんなさい。
だけど、答えを1つに決めなくてもいいですよね。私なんて観るたびに感想が変わったりもするし、何年かして「あ、そうか」と分かったり、逆に分からなくなったりも、するし。
それよりも自由に「こう観ました」と、まとまりなく言い合った方が楽しいです。同意できないときは、「え~、そう思わない」って正直に書いてしまったりもしますよん。

>kairouさんのほかの文章もいくつか読ませていただきましたが…

素直に嬉しいです^^

>ここに書かせていただいたこと、場違いで不適切であったならごめんなさい。

とんでもございません。このサイト自体が、話題がアチコチとんで、混沌としております。「空気を読まない!」が座右の銘です。どうぞお気になさらずに、自由にお書きくださいませ。

adajio|
kairouさま。おはようございます。

一昨日、初書き込みさせていただいて、そうしたらすぐにお返事がいただけて、昨日は一日とってもうれしかったです♪ で、仕事の合間にあれこれ考えたりしてました。
夜、CSのTBSチャンネルで「ラブレター」14話をしていたので、それをまたもや真剣に見てしまいました。

14話といえば、大好きな15話の前の回で、kairouさんがおっしゃる「お母さんにタテ突くところ。」(教会を振り返りはしますがジャンプはしなかったような…)がある回です。

「僕は母さんに捨てられたから、捨てられることしか知りません。捨てられて耐える方法しか。我慢して病気になることしか学んでいません。だから神父になるしかないのです。」

これは、kairouさんがお好きな、飲んだくれアンドレアが翌朝エステルシスターに言うせりふにつながっていきます。

「口では神様に恨み言を言いながら、本当は女にふられた怒りで体を震わせていました。人を死に追いやったと思い悩むふりをして、実は裏切られた痛みを慰めていたのです。僕は怖くてこの服を脱げないでいます。脱いでも行くところがないから。彼女を手に入れたくて、その欲望だけでこの服を脱ごうとしたんです。最初からこの服を着る資格がなかったんです。僕にとってこの服は逃げ場でした。孤児である事実から、母親に捨てられたという事実から、愛に裏切られた事実から…ただ逃げ出したくて選んだ道だったんです。僕は神を欺きました」「今回は留まる理由がありません。本当に出て行くつもりです」(引用は小説版からです。)

うーん。これがその後、神に対する「僕の意志ではなく、すべてあなたの意志に従います」の言葉にまでつながっていくのですが、本当に一本きちんと線が通ってますね。すばらしい!

さて、前回私が書いた

>漱石の「エゴイズム」の問題は「則天去私」という方向へ向きますので、アンドレア的世界とは本質的に異なります。

ですが、よくわからないものの、アンドレア的世界と全く無関係ではないように思います。いや、本質的には一緒かも…なので、このことはちょいと考えることにし、とりあえず取り消しておきます。

>「その先の道…」が気になります。

エロスとアガペは、言い換えれば「所有欲」と「無償の愛」ではないかと。これも、根本はアンドレアが孤児であったことと大きく関わる話で、そこにキリスト教的思想がからんで、語りどころ満載ですよね。ぜひ、語りたいし、ご意見をお聞かせいただきたいです。

>答えを1つに決めなくてもいいですよね

>それよりも自由に「こう観ました」と、まとまりなく言い合った方が楽しいです。同意できないときは、「え~、そう思わない」って正直に書いてしまったりもしますよん。

本当に!そういうところがkairouさんの素晴らしさです!「読み聞かせ」の文章でも書いていらっしゃいましたよね。一つの解釈をおしつけるのではないって。
うんうん、そうだなあって、思いました。
また、書かせていただきます。

kairou|
adajio さん、こんばんは。お仕事中もラブレターを考えてしまいますか? 私も観た直後など、歩きながら考えたりもしました。出先でトイレに入り、手を洗いながらフト鏡をみれば、まるでアンドレアを真似した顔して(お口をキュッと結んだりetc)、おいおい、と思ったりして。なんか目がヤバかったですね。私は韓国ドラマを見始めるのが遅かったので、ペ・ヨンジュンさんを見るまえにチョ・ヒョンジェさんを見てしまったようなもので、みなさんそうだと思いますが、最初の衝撃は、凄いですね(しみじみ)。

あっ、14話でしたか、タテつくところ。あそこ好きなんですよね~、お母さんの登場とともにグラグラと揺れてしまい、いよいよサシでやりあった場面です。ヒョンジェさんの演技がイイですね。体全部が、ただの息子になってしまうのね。別人になってしまうの。あれ? アンドレアどこ行った? ってなぐらいですよ。adajio さんの、おっしゃるとおり、剥がされてしまうのですよね~。
ジャンプしたっていうのは、カメラを(ジャンプして)跨いで行ったような気がするんですけど…、記憶違いかもしれません。あとでDVDで確認してみます^^;

adajio さんは15話がお好きなのですネ。後半、最終回へ向かって、じりじりと進んでいきました。

そして、引用してくださった所ですが、うんうん(頷く)、たしかに、きちんと1本線が通っています。これを少ない回数で表現したのだから、凄いですよね。

「僕は母さんに捨てられたから、捨てられることしか知りません。捨てられて耐える方法しか。我慢して病気になることしか学んでいません。だから神父になるしかないのです。」

音読しました。泣ける><
神様にもっとも遠い人が神様を学ぶ、という話を、聞いたことがあります。リアルですよね。セリフが響きますよぉ。いいとこ引用してもらいました。ありがとうございます!

漱石先生の件は、なぜ漱石先生の名前が出てきたのか、たぶん私なりに理解していると思うんですけども、「こういうことね」と、私自身、うまく言えていないなぁ、とは感じています。テーマが大きくて、深すぎて。
このエゴですが。ラブレターを隠れた名作として紹介しているサイトを幾つか見ましたけど、扱っているテーマが漱石先生と、どことなく重なるのであればこそ、古くならないテーマとして、隠れた名作と紹介するのもフシギではないなぁ、と思いました。はっきりと言葉にできないけれど、見た人は同じものを共有し合っているのかも…。ちょっと嬉しいです^^

>エロスとアガペは、言い換えれば「所有欲」と「無償の愛」ではないかと。

ちと検索してみました。
エロスと甘え―「求める愛」をめぐって―
自己愛と自己犠牲

adajio さんと私は同じことを言っている(言おうとしている)と思うんですヨ。
最後に、アンドレアは、アガペになりますよね。いや正確には、アガペのスタート地点に立った、そこでドラマは終わっている、と思います。

>根本はアンドレアが孤児であったことと大きく関わる話

おっしゃるとおりで、この闇はなかなか…、アガペにスタート地点なんかないのかもしれないけれど、この闇を思えば、ノタノタと行くしかないのじゃないかなぁ。どうしてもここに(孤児)に戻ってきますよね。戻って来るけど、前回の「ここ」と、経験した後の「ここ」とでは、違う「ここ」、場所ですよね。

「え~、そう思わない」はアレですよ、私がそう思わないというだけの話で。たいしたことじゃないです。私はナンボのものじゃ、笑。
「読み聞かせ」の記事も読んでいただいて、ありがとうございます! 私自身が押しつけられるのが苦手でして。ゆた~りが好きです。

adajio|
kairouさま おはようございます。

私は「ラブレター」を見るまでは、韓国ドラマで一番嵌ったのはペ・ヨンジュン主演の「愛の群像」でした。これも捨てられた孤児の話で、性格の屈折した主人公が、ある女性と出会い、また自らの病と向き合うことを通して、人間性を取り戻していく…というものでした。基本的にこの手の話が好きなようで…(苦笑)
ヨン様熱の当時でしたが、シナリオ本なるもの(脚本ノ・ヒギョン)まで買って、付箋だらけにし、文章を書き溜めたものです。さて、

昨日も昼間ずっと考えていて、仕事の合間にメモメモしたりして…。でも、夜、ご紹介いただいた二つの文章を読ませていただき、そしてもう一度、かんてら通信の文章を読ませていただき(これはプリントアウトして枕元に置いています)、なんとなくすっきりしてやすみました。

そうそう、そのとおり、と頷くことばかりで。
もちろん、難しくてわからない部分もあるのですが、まさに「はっきりと言葉にできないけれど、見た人は同じものを共有し合っているのかも」です。

あと一つだけ。
アンドレアの「偽善」。
世の中には「偽」の付く善ですら出来ない人間がたくさんいるので、前半のアンドレアは憧憬の存在なのですが。作家は「剥がして」いきますねぇ。見事に。

未熟なアンドレアは言います。
「ウナにはいつも美しいものだけを見て良い言葉をいっていてほしい」
「善」とは?「美」とは?

私たちが「善」「美」としているものは一体誰が決めたものか…。また逆に「罪」とは?

「世間の常識」「倫理観」やら、「教義」「ドグマ」…
そうしたものに価値基準をゆだね、真に自らの内面と向き合い対話することをしていないのではないか。

真に自らの心と向き合い、自らの醜悪な部分を見つめ、悩み迷い、あがいたアンドレアは、「確信」に到達し、「僕たちの愛は罪ではない」と言えるようになります。

このドラマ、オ・スヨンさんは当初「アニュス・デイ」(神の子羊)という題を考えていたそうですね。(そのほうが良かった!「ラブレター」って他にもいろいろあるし)
99匹ではない残り一匹の迷える子羊アンドレアの辿る道が、一貫したテーマですもの。

今日も長々と書いて、すみませんでした。年末のお忙しい時に…。ちなみに私はこんなことばっかりして、家はとっちらかっています(苦笑)

kairou|
adajio さん、こんばんは^^
おお、ペ・ヨンジュンさん「愛の群像」、良かったですよね!愛の挨拶、初恋、ホテリアーも良かったなぁ。
ヨン様は人気が出過ぎちゃって、俳優さんとしては、ちょっと気の毒なような…、ハンパない悪役とかもう出来ないでしょう、まわりが黙っていないかも、大変なことになりそうです。

>基本的にこの手の話が好きなようで…(苦笑)

me too! このテの話は響きますよね。
なぜかは、お互いに口を閉ざしておきましょ、笑。

>でも、夜、ご紹介いただいた二つの文章を読ませていただき、そしてもう一度、かんてら通信の文章を読ませていただき(これはプリントアウトして枕元に置いています)、なんとなくすっきりしてやすみました。

え! 枕元ですか。
「あらすじ」を書くのが苦手でして、がんばって書いてよかったなぁ、と、しみじみと。
それから、1~3まで番号が入ってますが、あれは一応、3幕構成で分けるとこうなるよね、っていう、つもりでした。説明ナシでやってたかもです。
感想文は思っていることを書くしかないですよね、このコメントといっしょで。ウソ書いても読む人は皆さん賢いのでバレてしまいますし。「なんとなくすっきりしてやすみました」ということで、私も嬉しいです。ウソ書かないぶん、いつもちょっと心配なのです。それに、私はいつも、混乱した書きようだから、汗。

>世の中には「偽」の付く善ですら出来ない人間がたくさんいるので、前半のアンドレアは憧憬の存在なのですが。

ここは一足飛びに行ってしまうけど、言われてみれば、そうだなぁ、って納得でした。たしかに、そんな感じでした!

>私たちが「善」「美」としているものは一体誰が決めたものか…。また逆に「罪」とは?

文字に書いた「善や美、罪」じゃなくて、そこに血を通わせて、お考えなのだろうなぁ、と思いました。
アンドレアを介し、私も自分なりに考えたりもします。
うーん、なんというか、ひと口では、言えないことばかりです。

>真に自らの心と向き合い、自らの醜悪な部分を見つめ、悩み迷い、あがいたアンドレアは、「確信」に到達し、「僕たちの愛は罪ではない」と言えるようになります。

うんうん(頷く)。

>このドラマ、オ・スヨンさんは当初「アニュス・デイ」(神の子羊)という題を考えていたそうですね。(そのほうが良かった!「ラブレター」って他にもいろいろあるし)
99匹ではない残り一匹の迷える子羊アンドレアの辿る道が、一貫したテーマですもの。

えッ、そうだったのか…、初耳です。
「ラブレター」にした方が視聴率的にアレだったのかも。
でも「アニュス・デイ」でしょ、迷うことなく。あるいはその辺りの何か、とか、ちょっと思いました。おっしゃるとおり、一貫したテーマですから!

>今日も長々と書いて、すみませんでした。年末のお忙しい時に…。ちなみに私はこんなことばっかりして、家はとっちらかっています(苦笑)

いえいえ^^
うちの場合、私も家もすべてトッチラカッテいます。。

adajio|
kairouさま こんばんは。

今日も早速のお返事、ありがとうございました。
昨日紹介してくださった文章、土居健郎のいう「甘え」はエロスと同義…面白かったです。あと、「奪う」に関して、以前kairouさんが書かれていた、有島武郎の「惜みなく愛は奪ふ」とトルストイとの比較の文章なども読ませていただいて、今日もあれこれ考えてました。それに関連して書こうかな、と思ったんですが、だんだん混乱してわけわかんなくなってしまいました。で、

今日は土曜日♪
難しい話はやめにして、「ラブレター」、ここにヤラレタ!場面~!

◎ ウジンの引越しで詩集にはさんでいたラブレターがKYな友達に読み上げられ、ウナが走って出て行くシーン。

追いかけるアンドレアに掴まれて、ウナはアンドレアの頬を思いっきりひっぱたく。
「そうよ、あなたのことよ。これでいい?」

この平手打ちがイイ!理屈で考えるとアンドレアが叩かれる筋合いはないのですが、この理不尽さ、ウナの気持ちをよく表して、秀逸です。
叩かれたヒョンジェくんの表情がまたいい!演じ過ぎず絶妙です。
ただのとまどい、というだけではなく、辛いウナと気持ちを共有するかのような…
「口に出して言えなかったあのころの私たちの大事な感情」それが、白日の下にさらされてしまった悲しみ…。

その後のスエちゃんもいいです。
走っていってウジンに掴まれたとき、思わずしゃがみこんで顔を覆って泣く、その一連の動きがすばらしい。

◎ 病院に来たアンドレアに懸命の嘘をつき、倒れた後、ウジンとソウルに戻るウナ。部屋に戻って、ウジンに毒づく場面。

「何が?もう終わりでしょ」
「彼のために耐えたのか?本当はあいつに会ってどんなウソをつき、どう慰めてもらうか考えながら耐えてたのか?」
「自分でも分からないから責めないで。
死を前にしてアンドレアに責められるだけで十分よ」
この後、壊れるウナちゃんです。

ウジンのせりふがグサッと痛いところを突いてます。

本当に、「剥がして」いきますねぇ。
なかなか書けないんじゃないでしょうか、こんなふうに。自己犠牲の愛を選んだウナに、このせりふです。

いやあ、素晴らしい!大好き場面2連発でした。

kairou|
adajio さん、おはようございまーす。

>有島武郎の「惜みなく愛は奪ふ」とトルストイとの比較の文章

ん。カタヨリ紙!? 私がもっともアヤシイですが(記憶ごった煮、汗)、読んでいただいて、嬉しいです♪

>だんだん混乱してわけわかんなくなってしまいました。

ですよね、私など、しょっちゅう。それで忘れた頃に脈絡なく思い出して、「あ分かった」と、ポツと呟けば、まわりに「なにそれ」とか言われてしまうという、笑。

>今日は土曜日♪
難しい話はやめにして、「ラブレター」、ここにヤラレタ!場面~!

新コーナー始まってしまったの? 笑。
adajio さん面白いですね^^

odoribaに来る人は、みんなどことなく面白いですね^^

それで、ヤラレちゃた場面ですが。
ひっぱたく。「辛いウナと気持ちを共有するかのような…」そうそう! 演じ過ぎず絶妙でした。
ヒョンジェさんは受け入れる俳優さんですね。自分のカラーを積極的に出していくのじゃなくて。あ、これ話が長くなるな。次、記事に書こ。以下略。

>◎ 病院に来たアンドレアに懸命の嘘をつき、倒れた後、ウジンとソウルに戻るウナ。部屋に戻って、ウジンに毒づく場面

ここは、アレですね。adajio さんが、おっしゃるとおり、「なかなか書けないんじゃないでしょうか、こんなふうに。自己犠牲の愛を選んだウナに、このせりふです。」確かに!

トーンを揃えた方が観ている人にとっては、分かりやすいけれど、平板になって面白味がないですよね。
それに、「自己犠牲の愛」は選んだのであって、もともとウナのなかに在るものじゃないから、迷いが突き上げてくれば自分でも分からなくなって(そうそう、壊れるウナちゃんですよ~)、上からカブせた「自己犠牲の愛」が、だんだんとヘンなことになっていくのね。
この切り口でもやっぱし、リアルですよ、ラブレターは。
人間ってこういうものですよね。ウナちゃんの気持ち、分かるもの。頭では最善の選択、でも心じゃ認めたくない、納得してない。そこをウジンがズバッとやってしまうわけですよぉ。キツイんだこれが。でもでも、やりたいウジンの気持ちも分かるのですよぉ。狂言まわしとして使っていないです。ウジンだって、ギリギリで…。

こういった白とも黒ともいえない、微妙な関係、心情を、この場面では表現されていると思います。バランス的にも難しいと思います。

韓国ドラマは設定じゃないと、さんざん書いてきましたけど、adajio さんがおっしゃっているような、こういう所を、両手で掬い上げて、味わう、みたいな、そういう楽しみ方ですよね。だから私的には純文学とそう離れていなくて。あっちも設定を読む小説ではないから。

で、ハマると、えらいハマってしまいます。
大好きな場面、沢山ありますが、んー、やっぱり、ウナちゃんの望みどおりに神父になる所じゃない? イントロダクションで持ってきてますね。アンドレアの涙が、こぼれ落ちる場面です。
あうー、大好きな場面、もっといっぱいあるヨ><

adajio|
kairouさま

こんばんは。リアルお引越しも近いのですよね。お忙しいのに、kairouさんにすればずいぶん前にご覧になったドラマについて、私が語り続けるのは心苦しいのですが…。

でも今日もお邪魔します。ごめんなさい。

>odoribaに来る人は、みんなどことなく面白いですね^^

それは、kairouさんが面白い方だからですよね。
いろんなものを、色眼鏡で見ず、ご自分の感受性を信じて、それをそのまま背伸びせず書いていらっしゃる。とっても素敵です。

さて、昨日から始まりました新コーナー(?)の続きを、調子に乗って書いちゃいます。。

ウナとアンドレアの場面はどこも大好きで、
物干し場で約束するシーンも、
浜辺で背を向けたウナに髪飾りを付けてあげる場面も、
母のことがわかり茫然としゃがみこんでいて、帰ってきたウナにすがって「僕を助けて」と泣く場面も、
空港から引き返し、ウナの部屋の前で居眠りしていて、帰ってきたウナに気づいて「あ」って立ち上がろうとしてふらっとする場面も(ここはツボでした!)

全部大好きなんですが、あえて2つ選ぶなら…

◎ 母と旅行に行く前の日、大学でウジンと気まずくすれ違い、その後、食堂でご飯をかきこみながら、「僕は悪くない。辛くなんかない。ウジンのことは考えない」と自分に言い聞かすシーン。

kairouさんのおっしゃる「単なる設定ではない孤児」としてのアンドレアの生き方がよく出ている場面です。今まで欲しいものを我慢して生きてきたアンドレアは、ほんの少し幸せになるのでさえ、心が痛み、簡単にはいかないんだと思うと、アンドレアがご飯を頬ばるほどに、私は切なくてしかたなかったです。

と同時に、何か善良な人間が持つ、普遍的な悲しみというものも表しているようにも思いました。
その後、ウナがおかずをとってからかってあげるのも、ウナの愛情を感じて大好きなシーンです。

◎ イタリアから帰ったアンドレアが、ウナに、心の病の話をする場面。ウナが「私の手が薬草の手だったら」とアンドレアを撫でてあげるシーンです。

教育心理学を持ち出すまでもなく、傷ついた人間に最も有効な癒しは、叱咤でも激励でもなく、共感・同情なんですよね。このウナの言葉と手がアンドレアの心を解いていきます。

以前ネットサーフィンしていたときに、このシーンのことを書いてくださっているサイトがありました。その方が幼い時、どこかが痛いといつもおばあさまが「私の手は薬草の手」と呪文を唱えてくださったそうです。 

それを思うと、こうした母の「痛いの痛いのとんでいけ~」的な優しさは、アンドレアは一切受けることなく育ったのでしょうから、このウナの愛は、アンドレアにとって「母の愛」「自分をありのままに受け入れてくれる愛」として心深いところに沁みたことでしょう。

>こういう所を、両手で掬い上げて、味わう、みたいな、そういう楽しみ方ですよね。だから私的には純文学とそう離れていなくて

おっしゃるとおり!大いに共感!

>あ、これ話が長くなるな。次、記事に書こ。以下略。

ヒョンジェさんの記事、待ってます!

kairou|
adajio さん、こんばんは!
次の記事ですが、ヒョンジェさんオンリーではないです><
すみません、言葉が足りませんでした。adajio さんへのお返事を書きながらフト思ったのです。俳優さんには2タイプあるなぁ、って。根拠ナシですけど、汗。
俳優さんを目指しておられる方々は詳しいのかも…? 
ただ観ている1人として感じたことを漠然と書こうかと思っております、一般論みたいな感じで。
引っ越しのドタバタでして。ゆっくりとPCの前に座っていられるのは今週ですと木曜日からです。その頃に書く予定です。
お返事は遅れるときも、あるかもしれませんけど、どうぞ、お気になさらずに、ご自由に書き込みしてくださいねん。
何年も前のドラマでも大丈夫ですよ~。だって私、何年も前の映画ドラマ、小説と、平気で記事を書きますもん。ぜんぜん大丈夫です!

>それは、kairouさんが面白い方だからですよね。

変態とも言いますが、笑。

>さて、昨日から始まりました新コーナー(?)の続きを、調子に乗って書いちゃいます。。

OK! ^^

>ウナとアンドレアの場面はどこも大好きで、

ウナとアンドレアに結婚して欲しいと言ってたファンがいたけど、それでヒョンジェさんとスエさんが苦笑したという…。でもそう言いたくなるくらい、ふたりの場面は、どれも素敵でしたよね~。

>「僕は悪くない。辛くなんかない。ウジンのことは考えない」と自分に言い聞かすシーン。
>アンドレアがご飯を頬ばるほどに、私は切なくてしかたなかったです。

うんうん(頷く)。

>と同時に、何か善良な人間が持つ、普遍的な悲しみというものも表しているようにも思いました。
その後、ウナがおかずをとってからかってあげるのも、ウナの愛情を感じて大好きなシーンです。

ですよね…、しみじみ。
ヒョンジェさんもスエさんも、これが初主演だけど、上手だと思います。単色じゃないですよね。なにかこう、広がっていく感じがします。孤児だけでなく、もっと別の、さまざまなことが、しぜんに表現されていて。
人間って誰ひとり単色じゃないし。
よく伝わってきて、引き込まれていきます。

>「私の手が薬草の手だったら」とアンドレアを撫でてあげるシーンです。

ここですね~^^

>それを思うと、こうした母の「痛いの痛いのとんでいけ~」的な優しさは、アンドレアは一切受けることなく育ったのでしょうから、このウナの愛は、アンドレアにとって「母の愛」「自分をありのままに受け入れてくれる愛」として心深いところに沁みたことでしょう。

ですよね。しかも、イタリアから帰ってきた後の出来事ですよぉ。行く前にこれだけ接近できていれば違っていたのに。

うーん。
ふたりが接近するまでには、ふたりとも準備が必要で、その準備が整いつつある時には、周囲の状況他が許さないという。リアルです><

adajio|
kairouさま。
お忙しいなか、いつもコメントいただき、嬉しいです。
「ゆたーり」がお好きなのに、私はせっかちで…。
でも、お言葉に甘えて、書きたいときに(空気を読まずに)書かせていただきます。

18話 ウナの病院玄関でのアンドレアとウジンの会話

「なぜ僕に言わなかった?」
「自分を責めなくていい。知ったところでお前に何ができた?
おまえが今までウナにしてやったことは何だ?
おまえのたいそうな神を追いかけるために、ウナを捨て、傷つけただけじゃないのか?
天ばかり見て、ウナのことはお構いなし。
ウナは縛られっぱなし。
おまえは何もできない。神のところに帰れ」

この会話にもしびれました。またもや、ウジン、いいですねぇ。本質に迫り、結果的にアンドレアを導くんですが、おっしゃっていたように「狂言まわしとして使っていないです。ウジンだって、ギリギリで…。」怒鳴りあわず、対峙する二人の演技もいいです。

前にご紹介いただいた「自己愛と自己犠牲」の文章。私の言いたかったこと、ここに集約されますね。

「エロスのエネルギーをより大きくして、隣人が豊かに花開くことを選択していく方向に向かわせるのがアガペの役割だ。」
「アガペがエロスより高度で大切であるといっているのではない。
エロスがなければアガペはなくなってしまうのだから。」

エロスとアガペは対立するものではなく、またアガペはエロスより高度であるわけではない。
アンドレアは、愛を知らずして愛を説いていました。高校卒業式の挨拶です。
エロスの愛を忌避し、ひたすら「お高い」アガペの愛をイメージしていたのでしょう。
ですから、ウナへの愛が強くなればなるほど混乱し、無理やりエロスの愛を封印しようとします。

でも、そうか、エロスとアガペは対立しないのね。
「母を通し、ウナを通して」神はアンドレアを愛し、それに気づいた(泥酔した後、母のベッドで手を握られ静かに抱き合う場面、涙)アンドレアは、やっと、母やウナを愛している自分をありのままに肯定し、「ただ愛する」ことを通して、より深い広い愛に近づいていきます。(でもまだ、「アガペの入口」なんだ…)

大好きな(大好きだった)GLAYの「young oh!oh!」の歌詞
「♪悩んでるね 悩んでるね
  眠れないね 眠れないね
  
  隣にいる恋人をお大事に、お大事にしてあげなよ!
  わがままを言い過ぎるほど人生は長くはないさ」

キリスト教の教えは知りません。哲学もわかりません。でも、このドラマを見ると、人間が愛しく思え、身近な人を真剣に愛することが大事って思える。
つくづく、いいドラマだなあ…

kairou|
お返事が遅くなりました、おはようございます!

14話のジャンプの件ですが、いまDVDで確認しました。
走って、フレームアウトですね。跨いではいません^^;
抑えられない苛立ちが、アンドレアから溢れ出してしまうという表現で、次に場面は移っても観ている人にはその苛立ちは残るという。だからこのフレームアウトはキレよく躍動的に撮ると思います。それでジャンプしているふうに見えたンだと思うなぁ。跨いではいなかったけど(すみませーん、汗)。

>書きたいときに(空気を読まずに)書かせていただきます。

うんうん(頷く)。私も気楽にやるし、adajio さんも、他の方々も、気楽にやっておくんなましね。批判のための批判でなければすべて歓迎いたしますです^^

>またもや、ウジン、いいですねぇ。本質に迫り、結果的にアンドレアを導くんですが

キリスト教を突き崩したのは科学ではないかと。
ウジンは現代的なリアリストで、キリスト教に批判を入れた「科学」を体現していると思います。なので、ビシビシと、キリスト教側のアンドレアを痛めつけてくれますが、
おっしゃるとおり、それは本質に迫っていますね~。
文字に書かれたキリスト教は、民の足もとまで降りて行かないと完結しないのではないかなぁ。天上に鎮座するだけでは引きずり降ろされてしまいます。
つまりウジンは、孤児としてのアンドレアの嘘を剥がしていくと同時に、神父としても育てていることになり、ここも、なかなか、奥が深いです。

>前にご紹介いただいた「自己愛と自己犠牲」の文章。私の言いたかったこと、ここに集約されますね。

でしょでしょ^^
ひょっとして、他の方がこれを見ていて、adajio さんと私の会話がズレているふうに感じられる方も、いらっしゃるかもしれないけれど、言い方が違うだけで、同じことを言っていると思うのですヨ。漱石先生のくだりも同様です。
こういうとき、ネットは便利、リンクしちゃう!
(リンクしておきながら言うのもなんですが、私はクリスチャンではないので、ほんとうに、このリンク先の情報は正しいのかどうなのか、確信が持てないままに、とりあえず、、)

>アンドレアは、愛を知らずして愛を説いていました。高校卒業式の挨拶です。
エロスの愛を忌避し、ひたすら「お高い」アガペの愛をイメージしていたのでしょう。
ですから、ウナへの愛が強くなればなるほど混乱し、無理やりエロスの愛を封印しようとします。

そうそう! 
お高くないと、じぶんを守れなかったのね・・・。

14話を確認するために、ひさしぶりにDVDを観たのですけど、いやぁ、ちょっと観ただけで、涙腺がぁ~。
いい話ですね。なんか、「ありがとう!」、って感じでした。

GLAYの「わがままを言い過ぎるほど人生は長くはないさ」、うん、ですね~。ちょっと耳が痛いですが、笑。

>人間が愛しく思え、身近な人を真剣に愛することが大事って思える。

ほんとうに。
このドラマは人間への信頼がもとにあって、おたがいに紆余曲折だけど、赦してあげたいし、赦してもらいたいです。

adajio|
kairouさま
お返事ありがとうございます。
GLAYが出てきたのは、来週ライブに行くのでちょっとスイッチ入りかけ…ってことで。突然GLAYって?…でしたね。すみません。。
そういえば、kairouさんは高校時代バンドをやっていらしたとか…。「リンダリンダリンダ」の記事で知りました。(ちなみに「リンダリンダリンダ」は私の大好きな映画です) 私も、高校時代から今に至るまでずっと音楽やってます。クラシックですけど、私の中にはジャンル分けはありません。kairouさんと一緒ですね。

さて、最近読んだ文章です。(小田中直樹 「歴史学って何だ」)

「かつて文化は、大衆文化も含めて、現実の根底には真実があり、それを表現することを任務とする、と考えられてきました。(中略)ところが、(オタク文化では、)現実の根底にあるのは真実ではなく、一種データベース化された断片的な情報です。、文化に携わる人間の仕事は、それを適当に組み合わせることにあります。」

「オタク文化」の定義については、かなり異論があるのでそこは省略しましたが、「モダン対ポストモダン」ともいえそうな、この文化の違いについての説明は、なるほどと思いました。

>ウジンは現代的なリアリストで、キリスト教に批判を入れた「科学」を体現している

意図的にそう作られていますね。
どこかでも読みましたが、「人を救う仕事」である「神父」と「医師」、アンドレアにはその両面を持たせて苦悩する姿を描いていますし、ウジンはおっしゃるとおり科学の側に立った「現代的リアリスト」としてキリスト教的価値観を「突き崩す」存在として作られています。
そして、ドラマを通して、「本質」や「真実」にせまっていきます。その相克を、その先の真実を、描こうという「意図」が強く感じられます。

その点で、このドラマは、「近代的」な「文化」(文学)であると思います。

日本は、そうした前近代を突き崩す「モダン」の時期を過ぎ、すでに「ポストモダン」に入ってしまっているのでしょう。それで、いまだ「前近代」と「近代」を対立項として描く韓国ドラマが懐かしいと思うのかもしれません。そのように解説されていたものを読んだような気もします。

そうであるにしても、
文化が普遍性をもつのは、やはり「真実」や「本質」が描けていたときであることは疑いないことで。
「源氏物語」は千年の時を経て、なお私たちの心を捉えています。(全部を原文で読んだわけじゃないけど 汗)ストーリーは、密通や不義の子が出てくるドロドロの話ですよ。けれど「ドロドロ」だから面白いんじゃない、そこに「生きた」人間がいて、悩み、問いかけ、笑ったり泣いたり、眠れなかったりしている。その姿が愛おしいからですよね。

狙ってできるものではないと思いますが、このドラマは、脚本・キャスト・演出・演技・音楽などがみごとにはまって、普遍性を持つ「名作」になったと思います。

kairouさんが最初に、「韓ドラ」というだけで「色メガネの薄ら笑いが見えてきます」とお書きになった、その尖った部分に共感して、今日は長文を書いてしまいました。

junjun|
こちらのブログを読ませていただいて、私が「ラブレター」を観て思っていた気持ちが、まさにぴったりと言葉で表現されていて感動しました。
3年程前に初めて「ラブレター」を観た時は、正直いって宗教がらみの設定に共感できず、ただ美しく作っているドラマだという感想でした。しかしその時も主人公三人の演技はとても心に残るものがありました。
その後「ソドンヨ」というドラマでチョヒョンジェの演技と瞳に改めてはまり、また「ラブレター」を観なおして見ました。
以前は理解できなかった。アンドレアの苦悩やあまりにもいい子すぎる性格、ころころ変わるように思われたウナの言葉の裏など、じんわりと染みてくるようになり、この感情はなんなんだろう。このドラマの魅力は何か?
それに対する答えを言葉にしてくださってありがとうございます。
わたしも印象ぶかいシーンとして、アンドレアが神父服を窮屈に思うシーンはいいと思います。抑えていたウジンが出てきた瞬間だと思っています。
また繰り返しでてきますが、アンドレアがウナにあてて書いた手紙(ラブレターまさに・・)の言葉が好きです。「以前君は、僕が本当の君を見つけたといったけど、実は君が本当の僕を見つけたんだ。」ですね。そんなことをお互いに言い合える人って世の中に何人いるんでしょうか?
あこがれもこめて、大好きな言葉です。

adajio|
junjunさま

はじめまして。主さまより先にご挨拶申し上げること、お許しくださいませ。

図々しくも、このところずーっとお邪魔していますadajioです。

>「ラブレター」を観て思っていた気持ちが、まさにぴったりと言葉で表現されていて感動しました。

本当にそうですよね。私もこちらを発見したとき、どれほど嬉しかったか…。kairouさんの文章が、ひとつひとつすとんと胸に落ちてきて感動しましたもん。
それから、こちらで「ラブレター」のお話を楽しくさせていただいてます。(ちょい青臭いことを書いてますが、「読書会」のノリってことでお許しを…)どうぞよろしくお願いいたします。

kairou|
adajio さん、おはようございます。ライヴいいですね~。楽しんできてください^^

>私も、高校時代から今に至るまでずっと音楽やってます。

おお! そうですか。クラシック。じゃ譜面読めますね?(当たり前、笑)私は独学なので譜面が読めなくて、いつも耳コピです。下手ですけど、笑。

小田中直樹 「歴史学って何だ」)、う~ん、これはアレですね、この下のadajio さんのお話とも絡めて書きますが、日本には最初からオタク文化しかなかったような気がしますヨ。西洋を真似て「真実」なんて言っていますけど(私も言うけど)。キリスト教が絶対の権威として君臨しつづけた歴史を持つ国とでは、ちと事情が違うかなという気がしています。間違っているかもだけど、、

源氏物語はいまも盛んに読み直しが行われていますね、これも、一筋縄ではいかないですよぉ、ぱっと見、昼ドラだし。その価値をまだ探し当てていないのかもしれないです。

だけど、adajio さんのおっしゃるとおり、私も普遍性というのはあると思っています。どの時代、どの国の人も、みんなバラバラで、みんな違っているのだけれど、なぜかそこに、共通すると思われるような、命綱みたいなものが、1本、通っているような気がしています。

kairou|
junjun さん、はじめまして、ようこそ♪

そっか、宗教がらみの設定。
言われてみれば…、なるほど、そういう見方もありますね。
私とadajio さんの会話でもそうですけど、どうしても宗教の話になってしまいます。それだけ宗教色が強かったのだと思います。

>しかしその時も主人公三人の演技はとても心に残るものがありました。

ここが不思議なところですよぉ。宗教色の強い設定ではハジかれてしまうのに、演技は心に残るのです。それ以上の何かが「あった」としか言えないですよね。私もビシビシとそれは感じていました。初主演の3人がもう一生懸命に演じていて、なんというか、測定不能な魅力がありました。

>その後「ソドンヨ」というドラマでチョヒョンジェの演技と瞳に改めてはまり、また「ラブレター」を観なおして見ました。

きれいな目ですよね^^

>アンドレアの苦悩やあまりにもいい子すぎる性格、ころころ変わるように思われたウナの言葉の裏など、じんわりと染みてくるようになり、この感情はなんなんだろう。このドラマの魅力は何か?

うんうん(頷く)。
言葉にならなくても、その言い方が違っていても、きっとみんな同じものを共有し合っているのですよね。それがとても嬉しく思いました。
そしてまた、「この感情はなんなんだろう」と、振り返り、考えさせるドラマって、素晴らしいと思います。ただ観て「あ~おもしろかった」で終らない、『ラブレター』はそういうドラマでした。

私も、自分なりに、かなり考えて、あの記事を書きましたヨ。『ラブレター』に応えるべきだと思ったのです。こんなに素晴らしいドラマを、みんなに知らせなくっちゃ! とか思って、笑。
「あらすじ」を書くのが苦手なのは自分でも分かっていましたが、その感想文となれば、さぁこの良さを、どうやって知らせるべきかと、私なりに頑張って書きました。褒めていただき嬉しく思います。頑張って書いてよかったです、涙。

>わたしも印象ぶかいシーンとして、アンドレアが神父服を窮屈に思うシーンはいいと思います。抑えていたウジンが出てきた瞬間だと思っています。

ですよね^^
神父服がアンドレアそのもので、ウジンはアンドレア(神父服)に守られていたのね。それが窮屈になってくる。下から突き上げてくる彼の本音がもう全身で「嫌だ!」と言っています。上に被せているものを「取り除いてくれ!」と、締めつける、ここは圧巻です。

ウナの存在だけでは、これだけ深いドラマにならなかったと思うなぁ。好きな女がいるから神父やめたいかも、って話じゃないので。表面的には三角関係で、恋愛を絡めていますが、その先の「愛」を、キリスト教のなかで解釈している感じがします。

>「以前君は、僕が本当の君を見つけたといったけど、実は君が本当の僕を見つけたんだ。」

ジン、ときますね…。

ほんとに、いいドラマですね。
私も憧れてしまいます。

adajio|
こんにちは。
いつ果てるとも知れないおしゃべりに、またやってきてしまいました。

kairouさんのお言葉にはいつも感心してしまいます。本質をついていらっしゃる…。で、どうしても応じたくなってしまうんですよ。しつこくて、ごめんね。

>西洋を真似て「真実」なんて言っていますけど(私も言うけど)。キリスト教が絶対の権威として君臨しつづけた歴史を持つ国とでは、ちと事情が違うかなという気がしています。

これ、そのとおりですよね。漱石とか鴎外とがヨーロッパで学んできて、日本に近代的な文学を作ろうとしていくんだけど、その後をみると、結局は日本の文学って「私小説」なんですよね(たぶん)。
日本人て、たゆたう存在で、それをそのまま受け入れる思想が長年あったと思います。大きなもの(たとえば自然)に刃向かっていくんじゃなくて、そこに身を委ねるっていうか…。ですので、映画もドラマも、そういった感性の作品は、すごいクオリティが高かったりします。

韓国の場合、よくわからないけど、突き崩すべき「何か」が常にあって、「身を委ね」「たゆたう」存在ではいられなかったと思います。そうした風土や歴史の違いは、ドラマ作りにも表れていますね。

って、「ラブレター」からかなり話が逸れてしまいましたね。最後にひとつ、大好きな場面を…。

◎ 第12話 届かなかったラブレターをやっと読んだウナが、アンドレアと会話する場面

「僕は今が好きだ。あの頃は二人ともつらかったから。
 今がいい。」
「僕も 初めはつらかった。君を愛してた思い出にひどく苦しんだ…。気持ちを押し殺すのがつらかった 」
「やめて。そんなふうに言わないで。愛していたなんて簡単に言わないで。
 あの頃の私たちの気持ちを、愛していると言えなくて、口になんて出せなかったあの頃の気持ちを、声に出して言わないで。……」

このあたり、すばらしいですね。見ているほうにしてみれば、単純に、やっとアンドレアの思いがウナに伝わって、カタルシスが得られると期待する場面ですよ。そこでこの会話です。バックにかかるシークレットガーデンの「約束」のバイオリンの音色に鳥肌がたちました。
最初見たときは、このウナのせりふの真意が完全には理解できなかったです。でも心に深く残った…。

過去のこととして語るアンドレアに、逆説的にウナが今も愛していると伝えているのだと思います。「私は今もあの時とおんなじ気持ちなのに…。今も口に出してなんか言えない…」っていう。
そして、これによって、アンドレアの心に、過去のものと割り切っていた感情が熱をもったものとして再び復活してくるわけです。韓国版では、頬を伝わる涙を手で確認するアンドレアのシーンがほんの少しだけ長く入っています。

好きだなぁ。まさにkairouさんが書かれた
>「日常使わない言葉でリアルなセリフを語り、非現実的な設定でリアルな現実を表現した、文学的なドラマ。」
ですね。ってまたもや長く書いてしまった自分に驚く…。ほんと語り過ぎ!ごめんなさい。

kairou|
adajio さん、いらっしゃい^^

それでこのコメントはキツいですよ。西洋を真似て云々と書きましたけど、もうギリギリいっぱいですね、笑。
ほら、ネット上に書くから、ギリギリすぅ。
許してちょ、で許していただきたく、、、

>日本の文学って「私小説」なんですよね(たぶん)。

そうなんですよ~。私小説なのです。この先に行けてないのです、文学は。トホホ。

そして! 『ラブレター』の好きな場面ですね!
むふふ、と微笑みながら、読ませていただきました。

っていうか、adajio さん、
これ上から見る人は辛いかもぉ。

んー、どうしようかなぁ、って考えています。
気の利く管理人さんであれば、別記事を新たに持ってくるかなぁ、それとも掲示板を付けるのか、どうなのか…。
気の利かない私としては、ただ腕組みしているだけで、なんの役にもたたなくて、汗。

別記事を持ってきますか?
必要であれば書いていただいて、そうでなければ、そのままでも大丈夫なので。
どんなものでしょう。adajio さんの、お考えを、ちょっと聞かせて。
えと、悪くとらないでくださいねん。おたがいに、気楽にやりましょ^^

adajio|
kairouさま

本当にこんなに縦長になってしまって、私もいかがなものか…と思いながら、こうしたルールもネチケットも知らず、延々と書き続けてしまいました。本当にごめんなさいね。お許しを~

これじゃあ他の方が書き込みにくいですよね。本当に空気読まないのも大概にしろって感じですよね。すみませんでしたぁ。

書きたいことはまだ出てくるのでしょうが、お蔭様でずいぶん整理ができました(ただただ感謝です)。この熱病のようなペースで今後も書き続けるなんてことはもうありませんので(モジモジポリポリ)

すべてはkairouさまのお考えのままに…。

kairou|
こんばんは~^^

言葉だけのやりとりなので、しかも上手く言えないしで、私の気持ちが、まっすぐに伝わればいいなぁ、と思いつつ、先のお返事を書かせていただきました。

へたに空気なんか読むと、強制的な何かみたいになってしまって。ほんとうに書きたいようにコメントを頂戴した方が、私も面白くて好きです♪

>これじゃあ他の方が書き込みにくいですよね。本当に空気読まないのも大概にしろって感じですよね。

そんなことないと思いますよん。
私のところは、もともとコメントが少ないです^^;

うーん、どうしましょ。
いちおう別記事を立てておきますか。
立てても、むりに書かなくてもいいですよん。書きたいときに、ちらっと書いていただいて、私もちらっと見て、時間のあるときに、ちらちらと(←大雑把)。そんな感じでどうでしょう。

adajio|
kairouさま、こんばんは。
ようやく熱病から復帰中のadajioです。
熱病罹患中はご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

いま、振り返れば、私がつらつら書き続けたことは、ぜーんぶkairouさんがおっしゃったことをなぞったにすぎなかったと実感されます。
kairouさんの文章(かんてら通信の文章も、私に書いてくださったコメントも)は、たとえば、Aの表現しか文字としてなくても、その下に山のような思索や論理の積み重ねがあって、その先に到達したてっぺんのAという言葉だけが見えている、という感じです。
まさに、ドラマ「ラブレター」と同じく、「文学」です。
私は、それを、自分の中にある卑近なことばで「解釈」したにすぎないのに、だらだらと書き過ぎてしまいました。
表現されたものを味わうには、表現する側がしたのと同等の精神的な追体験(?)をしないといけないんだ、と改めて思いました。(これはkairouさんの他の記事を読ませていただいてもそう感じました。)

「ラブレター」のせりふもそんな世界でしたね。当然発せらるであろうとこちらが予測するせりふを超えて、いわば氷山の下の部分を推測させつつ、その上の部分だけを言うというような…。(あぁ、私は文が下手だな)

私の蛇足的なコメントに、いつも応じてくださり、本当に申し訳なかったです。おまけに、ネットのマナーも知らず、いろいろやっちまったこと思います。赤面してます。それほど語り甲斐のあるドラマだったということで、お許しを…。
これからもいろんな文章、楽しみに読ませていただきます。ありがとうございました。

kairou|
adajio さん、こんばんは~。
いやぁ、なんだか、お気遣いいただいちゃって^^;
あるていど長くなったところで「こっちでやろうか? こっち来て」と管理人が誘導しなければならなかったのですよ~。ボーとしてるだけでなく、空気も読まないし、大雑把な性格だから、気づいたときには長くなってしまったという…、ただそれだけの話なんです。
なので、adajio さんが、赤面しなくていいのです。私が赤面すべきところなのです。すみません、汗。
と言いつつ赤面もせず、いたって平常心の私ですが(爆笑)。

ともかく、adajio さん、気にしないでネ。
これがいちばん言いたいです。気にしないで~♪

ネットマナーの話もそうで、ぜんぜん大丈夫ですよ。マナー守れていると思います。ほんとうに^^

熱病から復帰中とのことですが。
おっしゃるとおり、語り甲斐のある(語らずにおれない)ドラマでしたね。私など目がヤバかったし、韓ドラへと強く押し出してくれた、ドラマでもありました。

>これからもいろんな文章、楽しみに読ませていただきます。ありがとうございました。

あの俳優さんを能動と受動でわけてみた記事など、adajio さんとのやりとりのなかでボンヤリと思ったことなので、1本、記事が書けてしまいました^^ こちらこそ、感謝です!






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