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太宰治『パンドラの匣』私はなんにも知りません

パンドラの匣 (新潮文庫)


『パンドラの匣』は、1945年10月から翌年の1月まで、河北新報に連載された(全64回)、太宰初の新聞連載小説です。その前に書かれた200枚もの長篇小説『雲雀の声』(空襲のため焼失)の校正刷りをもとにして、改めて書き直されたものだそうです。
下敷きとなったのは、熱烈な太宰ファンだという木村庄助さんという方、肺結核で夭折されていますが、この方の書かれた闘病日記、遺言によって太宰のもとに届けられたという、これが下敷きとなり、戦中から戦後へと、まさに日本が移り変わって行こうとするときに、青春の心情をベースにし、戦後の小説として、新しく世に送り出した小説のようでした。

青春、戦後、新しい、などと書けば、さらに太宰文学にしては珍しく明るい色調だと付け加えるならば、なにやら胸がざわつきますが。木肌をさらした無垢の木に、サンサンとふりそそぐ陽のひかり、まさか「希望」の歌でも歌うつもりかと。そこまで底抜けではないけれど、こんなふうにも考えてみたりもします。夭折された木村さんとは何度か手紙のやりとりもし、彼の書いた小説を読み、太宰は大いに褒めたということですが、その彼の残した闘病日記を太宰が手にしたとき、この日記は、どのような方法であっても、小説として書くことができたと思うのです。それを、なぜこういうカタチにしたのか。そこに太宰らしさ(視点)が出てきてしまう。敬愛する奥野健男さんの解説にはジュニア小説みたいだね、という話も書かれていましたが、それは、いろいろと、アレですけど、それを抜きにしても、青春と戦後をこういうカタチで繋げたところに、一貫して濁りのない、太宰の視線が表れていると思います。この視線のことを世の人々は、永遠の青春文学などと言ったりしますが、「大人とは、裏切られた青年の姿である」、大人に到達する前の半人前を青春期と見るか、永遠に青春期、半人前で、半人前が重なっていく過程のことを大人と見るか、いつも通り読む前の解釈の仕方で(それはもう読む前の話です)印象が、ガラリと変わってゆくと思います。

こんな事を言うと、君は怒るかも知れないけれど、僕は君の手紙を読んで、「古いな」と思いました。君、もうすでに新しい幕がひらかれてしまっているのです。しかも、われらの先祖のいちども経験しなかった全然あたらしい幕が。
古い気取りはよそうじゃないか。それはもうたいてい、ウソなのだから。(略)
……ひとの行為にいちいち説明をつけるのが既に古い「思想」のあやまりではなかろうか。無理な説明は、しばしばウソのこじつけに終っている事が多い。理論の遊戯はもうたくさんだ。(新潮文庫186頁~)


言葉の魔力に酔い、溺れ、結果的にタテに塔を建て、そこに篭城して芸術的にと許してしまい、小さな窓から大きく世界を見るとするならば、ひょっとして太宰は死ななかったかもしれない。言葉をゼロに引き戻して更地に還し、いやもう還ってしまったのだと。
それでもなお塔を建てる人は建てることに生涯を捧げるのだろうし、言葉に溺れるだけの理由もそもそもこちら側にあるのだろうし、古い新しいなどと一概には言えないけれど。
どう言ったとしても、太宰が書いたような状態は、いまなお変わらずに、その先を生きているわけで。選択の余地はなく、そこは更地でありつづけるわけで。この事実は変わらないと思います。太宰の立ち位置は、苦しいものだなあ、と想像しつつ。


僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓(つる)に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽(ひ)が当るようです。」(同/331頁)


大人と青春期とを切り離してしまうのではなく、ただ半人前を重ねていくしかない存在として、太宰の視線は伸びて行く植物の蔓に向けられています。言葉に溺れることもなく、タテに塔を建てることもなく。それは「ひとりでに」伸びて行き、陽が当たるものだと言っています。むき出しの「生」の足もとを、ほんの少し照らし出すかのようにして。

「太宰治は、世間の常識や生活や倫理に妥協せず、あくまでも傷つきやすい青春の純粋さと正義と不安とを抱き続けた作家である」と、奥野さん。
その内訳はシンプルなものです。「私はなんにも知りません」、シンプルだけど、生涯苦しみ続ける位置となります。大人と青春期とを切り離してしまわないかぎり、必然、この位置に、居続けることになります。救われようとしても救われることがない。溺れず塔を建てないとはそういうことでしょう。濁りのない太宰の視線は一貫してここに在り続けています。

『パンドラの匣』は、敗戦の告白から始まっているけれど、その時代にとどまらない普遍性を指向した、やはり、太宰の小説で、青春のありようを興味深く描いただけでなく、「私はなんにも知りません」、ここまで引き戻した、野心的な小説でもあります。

太宰治『パンドラの匣』(青空文庫)
津島家新座敷の太宰屋さん
原きよさんによる太宰の朗読が聴けるネットラジオ
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