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芥川賞全集1~第4回『普賢』石川淳

普賢・佳人 (講談社文芸文庫)


石川淳です。彼の名前はよく見かけていました。私はフランス文学が好きなので、なにか読むたびに彼の名前が頻繁に出てきました、石川淳も支持した、とか、そういう感じで。
さてどんなふうかと開いてみましたら、これはいいですね、お金を出して小説を買ったことを後悔させない小説です。映像組でなければできないことがあると以前書きましたが、活字組でなければできないことをやっています。小説でなければ書けない小説で、頭ン中に柱が立ったりセリフと演者その演出など、容易に立ち上がってこない活字組としての身持ちの固さ、つまりココロザシの高さがうかがえました。
ひょっとして饒舌な書きように云々と謗られる可能性大ですか。書き手の都合で言うからおかしなことになるンであって、もっと単純に小説など書いたことのない1読者として読めば、開いて魅力があれば、それでいいと思います。

この雰囲気を知ってもらうために、
芥川賞全集 第1巻 (1) から出だしを抜き出してみます。

盤上に散った水滴が変り玉のようにきらきらするのを手に取り上げて見ればつい消えうせてしまうごとく、かりに物語にでも書くとして垂井茂市を見直す段になるとこれはもう異様の人物にあらず、どうしてこんなものにこころ惹かれたのかとだまされたような気がするのは、元来物語の世界の風は娑婆の風とはまた格別なもので、地を払って七天の高きに舞い上がるいきおいに紛紛(ふんぶん)たる浮世の塵人情の滓(おり)など吹き落とされてしまうためであろうか、それにしてもこれはちょっと鼻をつまめばすぐ息がとまるであろうほどたわいのなさすぎる男なのだ。(同・111頁)


紫苑物語 (講談社文芸文庫)


ここで言っていることは、垂井茂市という取るに足りない人物と出会ったけれど、なんで自分は心惹かれてしまったのかしらん、と意味だけを拾っていけばこれくらいのことしか言っていないです。
ならば「盤上に散った」とか「浮世の塵人情」だとか、こりゃなんだ必要なのか、読みにくい、もっとすっきりと書いてくれ、云々、とこういう話になるようですが、途中をスッ飛ばして強引に前記事内の川端康成へと繋いでしまえば、「詩精神」の問題ではなかろうかと。
「詩精神」って何だと私に訊かれても分からないですけど(笑)、ともかく出来事を記号みたいにして読み手が順列どおりにただ受け取っていく小説ではないということです。言葉の意味や響き、リズム、流れ、繋がり、そういったものから創造し読み手こそが参加して行く小説だと思います。参加できるってことはそこに読み手なりの詩精神(?)が働いているのじゃないでしょうか。だから繰返しの読みにも耐えうるのだし。

骨のある知的な文章で、耐えて1マスずつ文字を埋めていったようすが見えるようです。クッと捕まえて、ザーッと引きずりまわして行きます。小説内の主とともに、市中を引きずりまわされて行きます。センテンスが長い文章でなければ出せない効果でしょう。もちろんそれだけではないンだけど。読む人を酔わせる文章です。

アマゾンの紹介文↓。

中世フランスの女流詩人の伝記を書く主人公〈わたし〉。友人庵文蔵、非合法の運動をする文蔵の妹ユカリ――日常の様々な事件に捲込まれ、その只中に身を置く〈わたし〉の現実を、饒舌自在に描く(普賢・佳人 (講談社文芸文庫)


石川淳評論選―石川淳コレクション (ちくま文庫)

あらすじみたいなことは書けないです。
この小説の主とその周囲の人々のようすが描かれているだけです。
困った人たち。型どおりには動けない生身の人間たち。なにか突き上げてくるものがあるのでしょう、それはいったいどこから湧き上がってくるのか。動かしているのは作者ではないけれど、どうにもならない突き上げの、まるでシモベとなって動かされてしまう人々。しかしそのことに小説は頼りきってはいません。たまたま出くわしたから目のまえに現れたから、そのまま書きましたくらいの、さりげなさで書かれて行きます。

滑稽(?)なのはむしろこの小説の主の方です。
それでも中世フランス女流詩人の伝記なのです。本の世界と現実の世界と、足を踏みはずしてしまいかねないほどの落差を綱渡りし、さすがに辟易したのか、思いやこの口とは別に、じじつ落差に押し倒されるようにして、現実の世界へと埋もれてしまいそうなのです。
この落差は鮮明に描かれていました。はっきりと文字に書かれているわけではないけれど、小説の主は頑なに抵抗しているように見えます。それが小説の手綱をゆるめない、もう一方の引きであったようです。

おれが何か書く……いや、自分のことはよそう。だがおれがクリスティヌ・ド・ピザンのごとき艶の抜けたばあさんをペン先に搦(から)めようとするのはきみが焼酎のまずさにからだを擦りつける苦行と似たものかも知れん。ただしその苦行の事情は似たものじゃなさそうだ。何も教外別伝などと秘密めかした仕掛けはいらん。難易両方の裏表、有漏路無漏路(うろじむろじ)の行き通いをちゃんと文字に立ててこの世を顛倒させる願望だ。ところでこの世というやつは顛倒させることなしには報土と化さない。末世の地上を蓋(おお)うためには、如来がまんなかで居睡りをしている有り来たりの曼荼羅では納まらん。如来おんみずから錯乱させたまえ。おれの菩薩は宙にきりきり舞いをしている。拾得(じっとく)はほこりの中で狂った箒(ほうき)を振りまわしている。寒山を探せ。寒山はどこかの酒場で酔いつぶれているにちがいない。しかし、このようなけしきこそ普賢利生記(ふげんりしょうき)の図柄じゃないか。(同・147頁)


普賢・佳人 (講談社文芸文庫)
紫苑物語 (講談社文芸文庫)
石川淳評論選―石川淳コレクション (ちくま文庫)

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