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芥川賞全集2~第9回『あさくさの子供』長谷健

文学と教育のかけ橋―芥川賞作家・長谷健の文学と生涯


長谷健は学校の先生だったようです。
年譜によると、この『あさくさの子供』を書いて芥川賞をもらった後に、10年間無欠勤で奉職した浅草小学校を、校長の圧迫によって追われ、べつの小学校へと転任させられたとありました。書かれては困ることを書かれてしまった? 事情は詳しく知らないけれど、その理由の1つとして体面は保てないと判断されても仕方がないかな、とは思います。学校も先生も社会的なそれを背負ってしまうと、もう読まなくても聞かなくても言いぶんは似たり寄ったりで、あまりにも誰にでも当てはめ過ぎて、ほとんど何も言っていないに等しいのではないかとすら思われますが、長谷健は肩書きの「先生」じゃなくて、できるだけ取っ払った「先生」として、嘘のない筆致で子どもらのようすを描いていました。その分だけ抵抗も大きかったのではないかと想像しています。

できるだけ取っ払った「先生」として、というのは、完全には取っ払ってはいないのです。子どもらと真剣に向き合い日々心を砕いているような先生であればあるほどに、どうしても教育者臭が漂ってしまい、芥川賞の選考委員にも指摘されていましたが、それでも私は長谷健の踏みとどまる努力を認めたいです。長谷健の後から現在にいたるまで、この教育者臭漂う作品は、小説でも児童書でも沢山書かれているけれど、なかには人気作家で相変わらず読まなくても分かるようなことを大らかに謳いあげている方々もいるけれど、それだけ「先生」という肩書きをはずして書くことの難しさが分かるとともに、せめて長谷健のように、酔いそうな何処かの地点で気づいて踏みとどまり、「踏みどどまりました」と白状して書くことの大切さを思います。偉い先生方の書かれた作品は決して転倒することがないです。隠しても隠しきれない教育者としての誇りのようなもの、まるでいつでも操作できる立場にあるような糸の引き方で、硬化した土地に安全に子どもらを並べてゆくのでした。少なくとも白状して書くことで、この土地は柔らかくなります。それはつまり、いつでも転倒する危うい立場にあるということです。

内容は、江礼先生と、その受け持ちの子どもらとの間におきた、さまざまな出来事を、慎重な筆使いで書かれています。きっちりと書かれていると言ってもいいかもです。「星子の章」「圭太の章」「律子と鉄弥の章」と3つに分かれていて、先生の手記と子どもらのようすが入れ子になっている、わりと長い小説でした。先生が度々自問する辺りがもしかすると批判を浴びてしまいそうですが、小説としての完成度よりも、濁ってはいても転倒しかねない危うさにこそ、小説としての魂が宿っているかもしれないです。

一人の生活と、全体とはどちらが重大であるか、これは私には自明な論理であった。しかしそれは抽象的な概念上の理窟であって、現実的なものへ引きさげてあてはめようとすれば星子を失うことを希望する心は、いかに抽象概念を分析しようとたくらんでも、不合理な袋小路へ追込まれるより外にないのである。ここに抽象と現実の矛盾があった。しかもそれが、小使室の電燈の僅かにさしている玄関口に、しょんぼりと佇んでいた星子の母親を見た瞬間、はげしい火花を散らして相克しはじめたのである。お待たせしました、と、挨拶し、わざわざお呼びたてして、と、滅入るような声で返されている間に、私の抽象概念は、たじたじとなって退却しはじめるのであった。
芥川賞全集 第2巻・186p)


東京下町の小学校です。大人たちの欲望と殺伐とした環境のなかで育った子どもらの、独特な不良性が発揮されて、先生を困らしてゆきます(「星子の章」)。そして時代は昭和14年、給食児童という言葉が出てきました。お弁当を持ってこれない子への支給されたお弁当のことのようです。蔑みの対象となっているようで、この給食をすんなりと受け入れられないご家庭もあるようで、これを「圭太の章」で扱っていました。「律子と鉄弥の章」は、だんだんに年頃の子になってゆくようすを描いたもので、微妙な心理の駆け引きが歯がゆいほどです。

江礼先生が転倒しかねない危うさに立っているのと同時に、子どもらのようすも、いきいきと描かれていて、読ませる小説でした。こうでなければならないといった先に到達点を据えた類似の小説群とは一線を画します。かちっとした文章で書かれているけれど、小説全体は揺れていました。

星子は朱塗りの欄干を撫でながら広場の露店を見下ろした。バナナ屋の前にぽつねんと立っているのは、さっきの少年だ。
「ここよ、ここよ」と、星子は廻廊の板を両足でふみながら叫んだ。少年は聞こえないものとみえ、バナナ屋の口上を傾聴している。
「ここよ、ここよ、じれったい人ね」と星子は手をたたき、つづいて両手をメガホンにして声をはげました。
「蝉とれたの」
その声でやっと気づいた少年は、廻廊の星子を振り仰ぐといきなり石段の方に駆けて来た。星子は、にこにこしながら欄干を離れ、南側正面に逃げた。(同・152p)


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